☆再構成☆【 #三閉伊一揆 (さんへい_いっき)】

[原題]

【三閉伊一揆

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▼三閉伊一揆、概略地図。

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【三閉伊一揆】概略図

 

【1853年(嘉永6年)黒船来航】

アメリカのペリー、
ロシアのプチャーチンなどが
開港を求め相次いで来日。

 

*ペリー
久里浜に上陸。

*プチャーチン
長崎来航。

 

※列強の度々の来航に対する
沿岸防備や、飢饉による財政難、
指導者の無策による乱費などにより、
幕府をはじめ、多くの藩が財政難に
喘いでいた。

 

◆  ◇  ◆

 

【南部大一揆(三閉伊一揆)】

1836年以来、三閉伊通り(野田・宮古・大槌などの各都市)で度々起こった一連の一揆

 

ラクスマン事件での #松前警護 以来財政難に苦しむ南部藩は、領民に度重なる重税を課していた。

領民は何度も #強訴 を行ったがその度に藩から裏切られ、処刑者が出た。

 

最終手段として領民たちの採った策は「隣国仙台藩(伊達領)への #越訴 (おっそ)」。

事の成り行きを知る仙台藩は、南部藩との折衝の末、領民の47箇条にわたる願文のほとんどを受け入れさせ、一揆終結した。

 

※死を賭して訴えに出たということは、死ぬよりも辛い仕打ちを受けていた、ということだ。

 

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[ 図 版 ] [ 遠野市社会科副読本WEB版『ふるさ遠野』]より。

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