小説【家族の時間】

イメージ 1

魔法戦艦リュケイオン【家族の時間】

[夏目高太郎の憂鬱]

 ◆ ◇ ◆

子供たちはキラキラと遊び、はしゃぎまわり、
傍らには、私の身の程に過ぎるほどの佳き妻。

新緑は山川に萌えたち、
草花の息吹は私たちを知らずのうちに
柔らかく、軽やかな存在へと解きほぐしてゆく。

厳しく荒涼とした冬の水辺にただ独り、
あてどもなく釣り糸を垂れたあの頃には
知ることもなかった家族の薫りが、ここにはあった・・・。


忘れまい、

生涯忘れることはあるまい、

たとえこの肉体が終(つい)に最期の時を迎えたとしても、

痩せこけ、枯れ果てた私の魂を
溢れる情感で満たしてくれたこの3人の笑顔を。


 ◆ ◇ ◆

「夏目課長、清水製罐からお電話です」

「おっ、今出るよ」

私は加工用の包丁を動かしながら返事をした。
その日もいつもの仲間たちと、近海で水揚げされたばかりの赤・青・銀と色鮮やかな魚介に囲まれて生活していた。

「みんなだいぶ慣れてきたからもう大丈夫よ?」

「じゃ、悪いけどちょっと出てくるよ。よろしくね、芙美ちゃん」

仕事を共にする芙美子とはこの春結婚した。
工場内だけでなく、取引先の企業や周辺の住民までもが私たちの結婚を祝って声援を送ってくれた。

・・・だが・・・。

私は果たして、ここまでの幸福に恵まれてしまっても良かったのだろうか・・・。

 福井の港町の、けっして大きくはない水産工場に勤める一課長には充分すぎるほどの執務室で、私は受話器の向こうから語りかける男の声を聞く。

「やあ夏目課長殿、清水製罐の御屋崎です。御家族はお元気ですかな?クックック・・・」

元来の尊大さを隠そうともしないこの男の、咽の肉から圧し出すような含み笑いは、手足の指先から私の四肢を通って体全体にビリビリとした慄動を充満させてゆく不快な圧迫感を持っている。

「・・・。お陰さまで・・・。家族共々異常なく、健康・健全でアリマス。」

「お子様方も育ち盛り、夏目課長殿も忙しい時期ですな。クックック・・・」

この男の電話はいつも、『前戯』が長く、なかなか本題に入ろうとしない。分厚い肉塊で覆われているであろうその咽の奥から、嘲笑とも受け取れる醜怪な含み笑いとともに、息子や娘の話題が圧し出された時には、思わず受話器を投げつけてやろうかと右手が振るえるほどだった。

「夏目課長殿。」

突然改まった御屋崎の語調に不意を突かれ、私はドキリとして一瞬出かかった罵声をすんでのところで飲み込んだ。この御屋崎という男は、相手の心に効果的な不快感を与える「遊び」が、よほど気に入っているらしい。

「夏目課長殿に”良いお知らせ”と”悪いお知らせ”を1つずつ御用意させていただいた。」

もって回った言い方に、苛立つ脳はムッと熱を帯び圧力を増してゆく。

「クックック・・・」

御屋崎にとってはよほど面白い「お知らせ」なのだろう。ろくな「お知らせ」でないと分かっているので、早々に本題を催促する。

「それで?その、”お知らせ”とは??」

煮えたぎる不快感は、どう押さえ込もうとしても受話器を通して相手の耳に漏れ出してしまうかもしれない。こめかみの辺りからジワリと粘つくような嫌な感触の汗が滲み出す。

「”良いお知らせ”とは夏目課長殿に『本部』から1つの権限が預託されることです。クックック・・・、まことにお目出とうございます。クックック・・・」

「”悪い知らせ”とは・・・??」

御屋崎が肝腎なところでワザと間を置く。

こちらとしてはいやが上にも耳をそば立たせざるを得ない。

「”悪い知らせ”。クックック、それはですなぁ、犬神母子への『保護観察』が『抹殺命令』に変更されたということですよ。クックック」

一瞬体中の全ての分子が停止した感覚。

自らの口がだらしなく半開しているのが分かる。

このときばかりは御屋崎も心得たもので、決して反論の隙を与えようとはしない。

「『本部』での検討の結果、犬神母子、殊に”御長男”の犬神ジンギ君が今後の大きな『危険要因』になるという結論に至ったのだよ。」

つい先ほどまで煮えたぎっていた脳の圧力は一瞬にして消し飛び、顔からすぅーっと血の気の引く音まで聞こえるようだ。

「執行期限は年内一杯。追って正式な書面によって、権限の預託と執行命令が下されるだろう。煬妃殿下の『御署銘』入りでなぁ。」

言葉を失い、崩おれそうになる私の耳に、御屋崎はなおも残忍極まる醜声を叩き続ける。

「栄光高き帝国の将来を阻害するごく小さな『トゲ』を始末しろということだ。煬妃殿下の『御署銘』が何を意味するのか、夏目殿もよぉく御存知であろう。せいぜいミスの無いようにお励みください。では。」

『前戯』よりも圧倒的に簡潔明瞭な本題を並べ立てると、御屋崎はアッという間に電話を切ってしまった。

『清水製罐‐製造本部』から分厚い書類の包みが届いたのは、わずか2日後のことだった。