【F・ドレイク】スペインから英国へ、覇者の交代。

イメージ 1
前回の「ウィンストン・チャーチル」に続き、今回は同じ英帝国の「フランシス・ドレイク」。
★近代史トレカ【フランシス・ドレイク】詳細はコチラ★

◆現在、『近代史トレカ』と銘打って長期的な人生戦略展開を画策する月臣(爆)としては、
「近代というものがいつから始まったか??」、と問われたなら、
「1540年」から始まった、と答えたい。
●「Yahoo!百科事典」の【産業革命】の項に、産業革命とは、「従来は、”蒸気機関の発明を転機とする劇的な変化”と捉えられていたが、今日では”16世紀中ごろから始まる緩やかな工業化”を以って産業革命の始まりと見る考え方が有力である」との内容が示されていたからである。

英国の歴史においては、この1540年くらいから始まり、1640年くらいまでの約100年間を『初期産業革命』と呼ぶようである。

・農村に於いて、農作業のかたわら、「毛織物の内職」を受注し、賃金を得、家計に役立てる。

日本の農家でも、農作業の傍らムシロ作りをする、という風景が見られたように、英国でも、毛織物を作って自家使用したり、余剰を市場に売りに出したりする暮らしはあったようである。

・やがて、これらの商品を一括して専門的に商う『流通屋』が現れ、「用具や材料の貸し出し」「品質管理・上昇」、更には「金銭の貸し出し」まで行うようになる。

『問屋制家内工業』『問屋制前貸し』などと呼ばれる生産流通の効率化により、製品は「より大きな市場」を求めて世界規模で拡大してゆくのである。
イメージ 2
●話をドレイクに戻す。
・当時の英国は世界的には未だ小国(持たざる国)であり、既に新大陸などで植民地経営をしていたスペインとの間でしばしば「海上の衝突」起こしていたようである。

「カード」にも記したように、奴隷売買で活躍していたドレイクら奴隷商人も、おそらく「海賊と認定された上で」スペイン海軍に追われたのだろう。
商売仇をヘコますのに「大義名分(もっともらしい理由)」をつけた上で「徹底的な殲滅」を画策するのは世界史の常、『定石(じょうせき)』である。

命からがら英国に逃げ帰ったドレイクらは、スペインへの復讐心に燃え、いや、むしろ、「スペインへの復讐を口実として(?)」スペイン船舶や植民地に対し、激しい略奪行為を繰り返す。
・1577年、34歳の時、排水量305tのガレオン船(帆船)を建造。
同年、世界周航への船出に際して出資者であるクリストファー・ハットン卿の紋章にちなんで『Golden Hind号』(「金色の雌鹿号」)と命名された。

『Golden Hind号』を旗艦とする5隻の艦隊は、「世界周航」の「行きがけの駄賃(?)」として、「公然と」スペイン植民地を荒らしまくる。

マゼラン海峡を経て太平洋に進出、チリやペルーなどのスペイン植民地を襲い、太平洋を横断してモルッカ諸島へ、さらにインド洋から喜望峰を回り、出航から約3年後の1580年(37歳)、マゼランに続く史上2番目の世界一周を果たしてプリマスの港に戻り、女王エリザベス1世に、30万ポンドの金銀財宝を献上、英海軍中将に任命され、
Sir(騎士:Knight)の称号を得る。
・一時期、プリマス市長なども勤めたが、翌1581年、海賊がらみでの対スペイン国交悪化から再び艦上の人となり、「女王公認のもと」、スペイン領攻撃を繰り広げる。
そしてついに1587年、スペイン南部のカディス軍港を襲撃(ジブラルタル海峡北西)。

・エリザベス女王は、スペインからの再三の海賊船取締りの申し入れに対し、無視するばかりか公然たる助長まで繰り返していたので、これに対する報復と、英本土上陸を期して1588年7月、当時最強のスペイン海軍(Armada)が英国に向けて出撃した。

ところが、この「世界最強の艦隊」は、古代ギリシャ・ローマ時代ばりの「手漕ぎ舟(ガレー)」が主体であり、地中海のように風波静かな内海には適していたものの、ひとたび外洋に出れば猛烈な荒波に曝され、その優れた運動性を奪われてしまう。

また、小型の英国帆船による連続的な艦砲射撃に対し、スペイン側は、「衝角(ram)」による突入や、白兵戦を主体としており、戦術面においても、両艦隊には性能の差があった。

・スペイン出航時に艦船131隻、兵員約30000名を擁した大艦隊は、ドーバー海峡で惜敗、やむなくスコットランド方面から、迂回での脱出を図ったものの、慣れない北海航行と連日の過労から座礁・難破・病気によりさらなる犠牲者を出し、帰国時には艦船の半数と、兵員の2/3近くを失う壊滅状態となった。
イメージ 3
アルマダ海戦の勝敗の原因は、このような造船・航海・戦闘におけるテクノロジーの差だけでなく、両国における人事の違いにも原因があったと言われる。

すなわち英国側は、『名より実を取る英国式の人事』により、奴隷商人あがりのドレイクが、「純然たる戦闘能力の高さから」英国艦隊副司令官に叙任され、英艦隊の実質的な指揮を執った。

これ対し、スペイン艦隊においては、その活躍により「スペイン海軍の父」と称された前任者:サンタ・クルース侯爵アルバロ・デ・バサーン提督が1588年2月に急死。フェリペ2世は後任として、陸戦経験しかないメディナシドニアアロンソ・ペレス・デ・グスマンを任命。グスマン自らがこの人選に疑問を持ち、辞退の書を王に返送したが、飽くまでも「英本土上陸」にこだわる王はこれを受理せず、7月の艦隊壊滅で、グスマンは敗戦の汚名を被ることとなる。

◆[英国世界市場を拡大する復讐鬼]

(カードの効果)
場に人物カード「エリザベス一世」か
「ハットン卿」があるとき、フランシス・
ドレイクの人物力を+3000する。
●当時の世界は、植民地の獲得・経営をめぐって、列強が虎視眈々と勝機をうかがう空気に満ちていた。特に、英国とスペインは新大陸での制海権をめぐって暗闘を繰り返し、それはウィンストン・チャーチルの先祖「初代モールブラ公ジョン・チャーチル」の活躍するスペイン継承戦争へとつながってゆく。

この流れに、「産業革命」、更に「宗教改革」「各国王の王位継承問題」などが複雑に絡み合って近現代、延(ひ)いては現在のボクたちの生きるこの世界にまでその残照を見、人間社会の現実に思いを致す必要に迫られるのだと思う。