【えひめ丸遺族ら冥福祈る=「次世代に語り継ぐ」―事故10年で慰霊式・ハワイ】

[メモ]
えひめ丸遺族ら冥福祈る】
「次世代に語り継ぐ」―事故10年で慰霊式・ハワイ
 
 
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 【ホノルル時事】米ハワイ・オアフ島沖で2001年2月、愛媛県宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦に衝突され、9人が犠牲になった事故の慰霊式が9日午後(日本時間10日午前)、ホノルル市で開かれた。満10年となった今年は、遺族ら日米の関係者約150人が参列。9人の冥福と世界の海の安全を祈った。

 式典は同市カカアコ臨海公園内の「えひめ丸慰霊碑」前で開かれ、事故が起きた午後1時43分に合わせ、犠牲者に黙とうをささげた。

 遺族を代表して、同校2年水口峻志さん=当時(17)=の父龍吉さん(58)が「10年を一言で言い表すことはできないが、慰霊碑はいつ来ても美しく管理されており、感謝している。9人の魂も寂しい思いをせずにいられる」と謝辞を述べた。

 中村時広愛媛県知事は「次の世代に語り継ぐことで教訓を得て、二度と同じ犠牲が生まれないようにするのがわれわれの定めだ」とあいさつした。

 その後、遺族らが慰霊碑に献花。県の特産として知られるミカンの木3本を植えた。

 龍吉さんは式後、原潜元艦長のワドル氏について「罪を憎んで人を憎まずという風にはできないことがあった」と胸の内を明かした。事故の風化に関しては「仕方ないが、時の流れを止めるのがこの公園。慰霊碑と息子の名前は残る。誰かが継いで活動していただければ」と話した。

 慰霊碑は事故から1年の02年2月、えひめ丸が出航した埠頭(ふとう)や沈没現場などを見渡せる場所に建立。船体から引き揚げられたいかりが据え付けられている。 
 
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えひめ丸追悼式に「出たい」 遺族許すならと元原潜艦長】
 
 【ケーリー(米ノースカロライナ州)共同】米ハワイ・オアフ島沖で2001年、愛媛県宇和島水産高校の実習船えひめ丸米原子力潜水艦グリーンビルが衝突した事故から9日(日本時間10日)で10年を迎えるのを前に、原潜の当時の艦長スコット・ワドル氏(51)が自宅のあるノースカロライナ州共同通信のインタビューに応じ「遺族が許してくれれば、今年の追悼式には初めて出席して謝罪したい。事故の責任は一生背負う」と心境を語った。
 
 一方で「私が姿を見せることで遺族が不愉快な思いをしたり、多くの報道陣に囲まれて追悼式の会場を騒がせたりする事態は避けたい」と強調。遺族の間には反対論が根強く、実際に出席するのは困難とみられている。
 
 ワドル氏は、事故について「多くの若者を死なせるという最悪の出来事だった」と振り返った。自責の念から、妻と当時13歳だった娘を道連れに心中することも真剣に考えたという。
 
 今も頻繁に、事故に似た状況に置かれる悪夢に悩まされると告白。ワドル氏は「事故から10年を迎えても苦しみ続けている。ただ、愛する息子や夫を失った遺族のことを思えば、いくら私が謝り続けても許してくれない人がいることは理解できる」と話した。
 
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[月臣コメント]
高い社会的地位は、人間の心に高い精神性と同時に、ある種の「麻薬」を与える。
2008年2月19日、ミサイル実験成功の直後に起こった護衛艦「あたご」による衝突事故も、同じ種類の「慢心」によるところがあると思う。
 
月臣による「あたご」の記事はこちら