【マキアヴェッリのつぶやきを自動生成するアカウント】『軍隊の指揮官でさえ、話す能力に長じた者が、良い指揮官になれる。』

[ニコロボット]
『軍隊の指揮官でさえ、
話す能力に長じた者が、
良い指揮官になれる。』
マキアヴェッリのつぶやきを自動生成するアカウント
 
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★「ニコロボット」さんのつぶやきを、短くて読みやすい順に並べ、コメントしてみました´艸`
 
◇ ◆ ◇
 
 
[非常に短い]
 
 
軍隊の指揮官でさえ、話す能力に長じた者が、良い指揮官になれる。
 
◆洗練されたコミュニケーション能力が、危機を克服する力となり、業務を成功に導く。
確かに「口は災いの元」とも言うが、「沈黙の美徳」を勘違いして一言もしゃべらない人間は、組織が前進しようとする力を妨げ、あるいは逆進させる力を持つ。
仲間同士で「こんな時には、あいつはこんなふうに行動するやつだ」ということが、おぼろげにでも分かっていれば、自然、自分の採るべき行動の選択肢も、適度に絞られてくる、ということだ。
 
 
 
民衆は、群れをなせば大胆な行為に出るが、個人となれば臆病である。
◆個人の行動の不安定さに対するネガティブな意見。ポジティブに解釈するなら、「人間の団結は非常に大きな力を産み出す」。「自分自身の生死が懸かっている場合人間は、1人きりでは冒険的な行動を控えようとする」。といったところだろう。いずれにせよ、「少なくとも世界史レベルの時間的・空間的大局観≒思想」がなければ「集団は暴走し」、「個人は破滅する」。 
 
 
 
謙譲の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信ずる者は、誤りを犯す破目に陥る。
◆こちらが「私はこれだけで分相応ですよ」と遠慮したからといって、相手も必ず「では、私もこれくらいにしておきましょう」といってくれるとは限らない。相手によっては、「要らないんだったらもっとくれよ」と言ってくる種類の人間も、確かにいる。そのような『極めて強欲な圧力』に、屈してしまえば、『自らの生存を維持するための最低限の取り分』さえも奪われてしまうに違いない。油断しないことだ。
 
 
人間というものは、自分を守ってくれなかったり、誤りをただす力もない者に対して、忠誠であることはできない。
◆「守られたい」とばかり思っていた人間が、時代の変化によって「他者を守らなければならない立場」になってしまう、という現象は、長く生きていれば意外と多く起こるものだ。
 
 
一国の国力を計る方法の一つは、その国と近隣諸国との間に、どのような関係が成り立っているのか見ることである。
◆自国と周辺諸国の政府と国民、誰がより多くの財産を持ち、その財産がどう使われているのか。無論、「時価総額の数値」も大切ではあろうが、それに続き「国民の、生産に対する活力(モチベーション)」も大切である。『どれだけの大きさのものが、どちらに向かって動こうとしているのか??』。
 
 
怒り狂った民衆に平静さを取り戻させる唯一の方法は、尊敬を受け、肉体的にも衆に優れた人物が彼らの前に姿を現すことである。
◆人間も、『生物の一変種』である以上、『人間』である前に『生物』であるということを、決して忘れてはならない。例えばオランウータンなどの霊長類の研究において、「グループのリーダーになる者」には、『どんな性質を持った者』が多いか??◆◆
 
 
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[短い]
 
自身の身を保とうと思う君主は、悪しきものであることを学ぶべきであり、しかもそれを必要に応じて使ったり使わなかったりする技術も、会得すべきなのである。
◆確かに『保身』は悪徳ではある。しかしながら、重要な任務の途上にある者が、「義のために死す」などといって中途で仕事を投げ出してしまうことを許してはならない。「私は、今死ぬべきではない」と感じたのなら、決して死んではならない。
 
 
民衆の気分というものは、はなはだ動揺しやすいのが特徴だ。それゆえ彼らの支持を得ることはさして困難ではないが、その支持を保ち続けることは大変に難しい。
◆個々の民衆の集合体としての群衆は、台地上を流れる奔流のようなものである。国家を運営する立場にある者は、『水の流れてゆくべき道すじ』を分かりやすく示すべきである。河川が『治水』を必要とするように。
 
運命は、変化するものである。それゆえ人間は、自己流のやり方を続けても時勢に合っている間はうまくいくが、時代の流れに沿わなくなれば失敗するしかないということである。
◆どんなに自信と気力に満ち溢れた人間にも、『変化するべき季節』は訪れる。
 
 
個人でも共同体でも同じことだが、勝利を得た後や、単に勝利の幻影を見たに過ぎない折でも、しばしば尊大で横柄な言動に出るようになり、おかげで元も子もなくしてしまうことが多い。
 
[.菜根譚(さいこんたん)]
『恩裡由来生害、故快意時、須早回頭、
敗後反成功、故払心処、莫便放手』
 
恩裡由来(おんりゆらい)害を生ず、
故に快意(かいい)の時、すべからく早く頭(こうべ)を回(めぐ)らすべし、
敗後(はいご)あるいは反(かえ)って功を成す、
故に払心(ふっしん)の処(ところ)、すなわち手を放つことなかれ
 
(前集8項.静中の動、動中の静)
『天地寂然不動、而気機無息少停。日月昼夜奔馳、而貞明万古不易。故君子、閒時要有喫緊的心思、忙処要有悠閒的趣味。 』
 
天地は寂然(せきぜん)として動かずして、而(しか)も気機は息(や)むことなく、停まること少(まれ)なり。日月(にちげつ)は昼夜に奔馳(ほんち)して、而(しか)も貞明(ていめい)は万古に易(かわ)らず。故に君子は、閒時(かんじ)に喫緊(きつきん)の心思うるを要し、忙処(ぼうしょ)に悠閒(ゆうかん)の趣味(おもむき)あるを要す。
 
 
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[12:00]
残念ですが、本日は外出時刻を迎えてしまいましたので、以下は月臣が面白いと感じたものを列挙しておきます。機械的に、「字数の少ない順」で、3~4個のつぶやきを1節にまとめてありますので、よろしければ読んでみて下さい。マキアヴェッリのオイシイとこだけを早読みできると思います*☆*´艸`*☆*
 
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[中くらい(1/3)]
 
誰だって、誤りを犯したいと望んで、誤りを犯すわけではない。ただ、晴天の日に、翌日は雨が降ると考えないだけである。
 
 
運命は、変化するものである。それゆえ人間は、自己流のやり方を続けても時勢に合っている間はうまくいくが、時代の流れに沿わなくなれば失敗するしかないということである。
 
 
君主にとっての敵は、内と外の両方にある。これらの敵から身を守るのは、準備怠りない防衛力と友好関係である。そして常に、良き力をもつものは、良き友にも恵まれるものである。
 
 
[中くらい(2/3)]
 
いかに一人の有能な人物が全精力を投入したところで、その成果を今後も維持してゆくためにはその他大勢の人間の協力が必要である。このことなしに、国家の存続は保証されえない。
 
 
賢明な君主とは、常に臣下たちにいかなる場合でも自分が必要であると思わせるように仕向けておかなければならない。そうすれば、彼らはいつまでもあなたに対して忠誠でありつづけるだろう。
 
 
思慮深い人物は、信義を守りぬくことが自分にとって不利になる場合、あるいはすでになした当時の理由が失われているような場合、信義を守りぬこうとはしないし、また守りぬくべきではないのである。
 
 
 
[中くらい(3/3)]
 
サルスティウスが、その著書の中でユリウス・カエサルに語らせている次の言葉は、全くの真実である。「どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった」
 
 
次の二つのことは、絶対に軽視せぬこと。
1)忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶かすことができると思ってはならない。2)報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転できうると思ってはいけない。
 
 
運命は、何か偉大なことを為そうとするとき、運命の与える好機に気付き、それを活用する気概にあふれ、才能にも恵まれた人物を選ぶものである。反対に、破滅を呼びたいと望むときは、それに適した人物を選ぶ。
 
 
 
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[長い(1/3)]
 
一方を選ばなければなければならないとすれば、私は愛されるよりも恐れられるほうが君主によって安全な選択であると言いたい。なぜなら、人間には恐れているものよりも愛しているもののほうを容赦なく傷つける性向があるからだ。
 
 
人は、心中に巣くう嫉妬心によって、褒(ほ)めるよりも貶(おと)すほうを好むものである。それゆえに、新しいやり方や秩序を主張したり導入したりするのは、それをしようとする者にとって、未知の海や陸の探検と同じくらいに危険を伴う「事業」になる。
 
 
困難な時代には、真の力量を備えた人物が活躍するが、太平の世の中では、財の豊かな者や門閥に支えられた者がわが世の春を謳歌することになる。衆に優れた大人物は、国家が太平を謳歌している時代には、得てして冷遇されるものなのだ。
 
 
名声に輝く指導者たちの行動を子細に観察すれば、彼らがみな運命からは機会しか受けなかったことに気付くであろう。そしてその機会も彼らには材料を与えただけであって、その材料さえも、彼らが自分の思い通りに料理したのに気付くに違いない。
 
 
[長い(2/3)]
 
それにしても、聡明な君主と評判を得ている人物に対し、あれは君主自身の器量によるものではなく、側近に人を得たからだという人が多い。それは、明らかな誤解である。なぜなら、聡明な君主でなければ助言者を活用できるわけがないからである。
 
 
このことだけは、肝に銘じておいてほしい。為政者であろうと指導者であろうと、支配者の存在しない社会はあったためしはないのである。だからそれをする人を選ぶときには必ず、その人々が権力を濫用しようにもできないような、制度を整えておくことだ。
 
 
人間のなすあらゆることは、初めから完全無欠ということはあり得ない。はじめは取るに足らない欠陥に思えたものから、時が経つにつれ障害が芽生えてくる。それゆえ、法律であれ制度であれ、現状に合うような手直しが、常に必要になってくるのである。
 
 
国家というものは、卓越した指導者の後を弱体な指導者が受け継ごうと、維持ならばしていけないことはない。だが、弱体な指導者が二代続いたとしたら、もしもフランス王国のように古くから体制がきちんとしている国でない場合、維持さえも不可能になってくるのだ。
 
 
[長い(3/3)]
 
長期にわたって支配下におかれ、その下で生きることに慣れてしまった人民は、何かの偶然で転がり込んできた自由を手にしても、それを活用することができない。動物園で飼われた猛獣に似て、原野に放たれてもどう生きてよいのか分からず、再び簡単に捕獲されてしまう。
 
 
指導者なら誰でも、次のことは心しておかねばならない。それは、個人でも国家でも同じだが、相手を絶望と怒りに駆り立てるほど痛めつけてはならないということだ。徹底的に痛めつけられたと感じたものは、もはやほかに道なしという思いで闇雲な反撃や復讐に転じるからである。
 
 
君主たる者は、才能ある人材を登用し、その功績に対しては、十分に報いることも知らねばならない。そして国民に対しては、それぞれの分野で安心して働けているように計らい彼らが、取得したものを取り上げられるのが厭さに財産を増やすのを恐れたりすることの無いよう、注意を怠ってはならない。
 
 
戦いに訴えねばならない場合に、自国民からなる軍隊を持っていない指導者や国家は恥じて然るべきだと思う。なぜならそのような軍隊を持っていないという事は、自国内に兵士に使える人がいないという事ではなく、自衛のために立ち上がる気概を持たせられなかった事を示す以外の何物でもないからである。