[Q]【太平洋戦争についての質問です。あの戦争は、なにも日本はあの時期にアメリカと戦う必要は無かったのでは?】(Yahoo! 知恵袋)
[Q]【 #太平洋戦争 についての質問です。あの戦争は、なにも #日本 はあの時期に #アメリカ と戦う必要は無かったのでは?】(Yahoo!知恵袋)
http://chie.mobile.yahoo.co.jp/p/chie/qa/view?qid=11140803616&ySiD=zKzKVJ7Ztqr4x98U7ol1&guid=ON
[Q.つづき]『…結局は石油を求めて連合国軍とドンパチ始めた日本ですが、英・仏・蘭にしぼって戦争を始めていれば、アメリカと戦わずに資源は最低限確保できたのではないでしょうか。
それともアメリカ軍のいるフィリピンがじゃまで無理でしょうか?(中略)』
日本史
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解決済み
2015/1/25 18:19
◇ ◆ ◇
ベストアンサー
oitho288さん
[A]『実は質問者さんと同じ発想をしていたのが、第二次近衛内閣の近衛首相と中国で苦戦して援蒋ルート(英と「米」が中国援助)の遮断を狙っていた陸軍です。
併せて資源確保も狙って仏印進駐に踏み切ります。
ここまで行ってもアメリカは行動に出ないだろうと。
彼らは「英米可分論」に立っていたことになります。
ところが、アメリカからは石油を止められます。
ここで日本は石油輸入の9割を失います。
これに対し、「 #英米不可分 」、 #仏印進駐 はアメリカとの戦争につながるとしたのが、かの #松岡外相 でした。
独ソ戦開始後、彼は自ら締結を進めた日ソ中立条約を破棄しソ連への参戦を主張します。
無理があるとする陸軍をはじめ他閣僚から孤立します。
また、松岡外相では交渉にならないと、すでにこの時期アメリカからの圧力もかかっています。
これにより実質松岡をやめさせるために内閣改造し、近衛第三次内閣が発足しますが、近衛が内閣を投げ出し東条内閣へ。
アメリカは対独が主眼なので日本には経済封鎖で屈服させ時間稼ぎをするつもりでしたが、アメリカを頼りにしていたイギリスと中国から猛抗議。
そして日米開戦となります。
真珠湾の奇襲日にはドイツ軍の攻勢が停止、モスクワからの撤退を開始しています。
もう一人、仏印進駐が対米戦につながると諌めたのが幣原喜重郎(元外相、戦後首相)でした。
近衛はこの幣原の忠告に顔を青ざめ、逆に「どうしたらいい」と聞く始末。
幣原は至急、軍を撤退させるべきとアドバイスしますが、その勇気と指導力はありませんでした。
またこの時期、海軍も英米不可分論に立っており対米戦の準備を進めることになります。
満州事変以来、もっとさかのぼれば日露戦争直後からアメリカは日本との衝突を意識していました(日本側もそうです)。
ワシントン体制での日英同盟の廃止もアメリカの横やりです。
第一次世界大戦で疲弊したイギリスはアメリカに追随する道を選んだわけで、この時点でもう「英米は不可分」であったと言えます。
よくアメリカにハメられたと甘え事を言う人がいますが、それが外交です。
善悪はありません。
日本の止まらぬ中国侵出に対しアメリカは着々と日本の選択肢を絞ってきたのです。
日本側、特に陸軍中枢も満州事変以降行き当たりばったりでした。
満州事変を起こした石原莞爾は対中国戦には反対、ですが「あなたと同じことをしているだけだ」という武藤章に押し切られます。
その武藤も対米戦には反対だったのですが、田中新一らの強硬派の流れを変えることはできませんでした。
2015/1/20 12:37
◇ ◆ ◇
[質問した人からのコメント]
『やっぱりアメリカとイギリスを分けるのはほぼ不可能ですか。
しかし、自分と同じような考えを近衛さんがしてたとは。
「たられば」だけでなく、史実の細かいことまで教えていただきありがとうございました。』
http://chie.mobile.yahoo.co.jp/p/chie/qa/view?qid=11140803616&ySiD=zKzKVJ7Ztqr4x98U7ol1&guid=ON
[Q.つづき]『…結局は石油を求めて連合国軍とドンパチ始めた日本ですが、英・仏・蘭にしぼって戦争を始めていれば、アメリカと戦わずに資源は最低限確保できたのではないでしょうか。
それともアメリカ軍のいるフィリピンがじゃまで無理でしょうか?(中略)』
日本史
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解決済み
2015/1/25 18:19
◇ ◆ ◇
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oitho288さん
[A]『実は質問者さんと同じ発想をしていたのが、第二次近衛内閣の近衛首相と中国で苦戦して援蒋ルート(英と「米」が中国援助)の遮断を狙っていた陸軍です。
併せて資源確保も狙って仏印進駐に踏み切ります。
ここまで行ってもアメリカは行動に出ないだろうと。
彼らは「英米可分論」に立っていたことになります。
ところが、アメリカからは石油を止められます。
ここで日本は石油輸入の9割を失います。
これに対し、「 #英米不可分 」、 #仏印進駐 はアメリカとの戦争につながるとしたのが、かの #松岡外相 でした。
独ソ戦開始後、彼は自ら締結を進めた日ソ中立条約を破棄しソ連への参戦を主張します。
無理があるとする陸軍をはじめ他閣僚から孤立します。
また、松岡外相では交渉にならないと、すでにこの時期アメリカからの圧力もかかっています。
これにより実質松岡をやめさせるために内閣改造し、近衛第三次内閣が発足しますが、近衛が内閣を投げ出し東条内閣へ。
アメリカは対独が主眼なので日本には経済封鎖で屈服させ時間稼ぎをするつもりでしたが、アメリカを頼りにしていたイギリスと中国から猛抗議。
そして日米開戦となります。
真珠湾の奇襲日にはドイツ軍の攻勢が停止、モスクワからの撤退を開始しています。
もう一人、仏印進駐が対米戦につながると諌めたのが幣原喜重郎(元外相、戦後首相)でした。
近衛はこの幣原の忠告に顔を青ざめ、逆に「どうしたらいい」と聞く始末。
幣原は至急、軍を撤退させるべきとアドバイスしますが、その勇気と指導力はありませんでした。
またこの時期、海軍も英米不可分論に立っており対米戦の準備を進めることになります。
満州事変以来、もっとさかのぼれば日露戦争直後からアメリカは日本との衝突を意識していました(日本側もそうです)。
ワシントン体制での日英同盟の廃止もアメリカの横やりです。
第一次世界大戦で疲弊したイギリスはアメリカに追随する道を選んだわけで、この時点でもう「英米は不可分」であったと言えます。
よくアメリカにハメられたと甘え事を言う人がいますが、それが外交です。
善悪はありません。
日本の止まらぬ中国侵出に対しアメリカは着々と日本の選択肢を絞ってきたのです。
日本側、特に陸軍中枢も満州事変以降行き当たりばったりでした。
満州事変を起こした石原莞爾は対中国戦には反対、ですが「あなたと同じことをしているだけだ」という武藤章に押し切られます。
その武藤も対米戦には反対だったのですが、田中新一らの強硬派の流れを変えることはできませんでした。
2015/1/20 12:37
◇ ◆ ◇
[質問した人からのコメント]
『やっぱりアメリカとイギリスを分けるのはほぼ不可能ですか。
しかし、自分と同じような考えを近衛さんがしてたとは。
「たられば」だけでなく、史実の細かいことまで教えていただきありがとうございました。』