[Q]【松岡洋右って、国際連盟脱退の演説を英語でやったんですよね】(Yahoo! 知恵袋)(今日の出来事)

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[Q]【 #松岡洋右 って、 #国際連盟 脱退の演説を英語でやったんですよね】(Yahoo!知恵袋)(今日の出来事)

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[Q]『松岡洋右って、国際連盟脱退の演説を英語でやったんですよね。

アメリカの敵国になるようなことをできるのに、なぜ英語を話すことができたのでしょうか?

というか好きで英語を勉強したのでしょうか? 英語が話せるから、右翼だとかリベラルとかはないでしょうが、思想的に松岡洋右ってどんな感じだったんでしょうか?
日本史
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解決済み
2014/3/20 00:21

◇ ◆ ◇

ベストアンサー

crescent_riderさん

松岡洋右は少年期に一家が破産した事から伝手(つて)を頼って渡米、此処で十代の殆どを過ごす事に成り、オレゴン大学を卒業後にホボ十年振りに帰国する事に成りました。

彼をバリバリの国粋主義者の様に思って居る人から見た場合、意外な経歴かも知れません。

滞米中にはキリスト教に入信する一方、アメリカ的なカウボーイ・スタイル、詰まり有り体に言えば喧嘩のやり方も又憶えて来た様で、此の事が後の外交官としての経歴に良くも悪くも反映して来る事に成るのだろうと思われます。
帰国後は独学で外交官試験に合格したくらいですから、当時の日本では優秀な部類に入る方だったと言えるかと思います。

外交官としては、主に中国畑を歩き英米系は意外にも余り縁は無かった様です。

40代に入る頃に退官、以後は満州関係の職に着いたり選挙に出たり為(す)る事に成ります。

問題の"連盟脱退"ですが、所謂(いわゆる)"リットン報告書"が45カ国中42カ国の賛成で採択為(さ)れた事から、此の後満州国建国の"宣言書"の朗読に成り、此れを最後に退場した事から、事実上の"脱退"と見做(みな)された訳ですが、正式の手続きは三日後の事だったと伝わります。

所で此の場面は、現在でも資料映像として良く見掛けるモノですが、松岡一世一代の名場面と言っても良く、彼が単に英語が上手いだけでは無く、自己主張が極めて雄弁且つ巧みな人物だった事が分かるかと思われます。

極めて印象的な場面である事からも、脱退=松岡と言うイメージで見られがちですが、脱退は飽く迄報告書が採択為れた場合の政府としての既定の外交方針で、松岡一人のスタンド・プレーと言うモノでは無かった事は勿論かと思います。

実は松岡自身は、内心ではマズい展開に成ったと思って居た様ですが、日本に帰ると"良くぞ言ってくれた"的な絶賛の嵐だった事から、安堵為ると共に別な意味でのマズさも禁じ得無かったと伝わります。

此の辺りには、"日本の常識、世界の非常識"と言う様に、今でも余り変わら無い彼我の感覚の落差が有る様に思われます。

此の後、松岡は髪を切り落とし、坊主頭に近い国粋的なイメージに成って来る事に成る一方、外交的には陸海軍部や政府の方針との股裂状態に逢い、嘗(かつ)て程の精彩は欠いて来る事に成ります。

松岡の様な人材を生かし切る事が出来無かった当時の日本の政治風土にも、大きな一因が在ったと考えられます。

(|…o±\o
2014/3/14 10:53