++お金って何?人生って何?

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★本稿は、パパイヤさんのブログからの転載記事【郵便預金は、果たして安全か】へのコメントから発展したものです。

http://blogs.yahoo.co.jp/knight_tukiomi/7808196.html

月臣は金融に弱いので、お金の説明から始まって、人生論になっちゃいました。
何やってんだか(^^;)
無知蒙昧な月臣の記事に、「厳しいツッコミ」を御願いします♪


●紙幣というのは、火で燃えちゃうし、
何でわざわざ「紙幣」なんて物を使い続けてるのかな。


昔はどの国でも金貨や銀貨を使っていたと思うが、
やっぱり生産量(生産数)に問題があったのかな。

●江戸時代にも、幕府の手元にある小判に混ぜ物をして借金に対応したこともあったようだが、結局、商人たちは質の低下にしっかりと気付き、小判の「信用」が下がった結果、結局インフレになってしまったとか。

 ◇ ◆ ◇

「不換紙幣」が大量に発行(印刷)されている現在では、極端なインフレを誘発しない限り、日銀は紙幣発行したい放題なのかも。

で、お金の価値が目立たないスピードで下がってゆくことで、政府の借金の「総額」は上がっても、「実質は下がる」という事をやるものらしい。

●詳しい数字は知らないが、仮に国債を10,000円で買ったとして、10年後に11,000で売るとする。
額面上は1,000円得した気になるが、お金の実質的な価値が下がってるから、買ったときの価値で計算すると9,000円しか返って来てないとか。

これだと、せっかく10年も日本政府に投資しても、タダで1,000円あげちゃったようなモノ。

だから友達は「国債なんかやめといたほうがいい」といっていた。

●健康保険も、国民年金も、郵貯も、民間の保険も、集めるだけ集めといて支払いは渋る。

彼らはあの手この手を使って無知な庶民からお金を吸い上げようとしているのだ。

 ◇ ◆ ◇

●そうはいっても、「お金」というのは人間にとって『極めて便利な道具(ツール)』なので、どんな生活を選ぶにせよ、最低限のお金は必要であろう。

問題なのは、お金そのものではなく、お金に振り回されてでもお金がほしくなっちゃう人間のココロの方に在るように思う。

 ◇ ◆ ◇

お金や株式や品物の、時間による価値の変化を利用して、肉体労働なしで「投機的な収入」を求める人がいる。

彼らは、月臣に言わせれば「ハイエナ」のようなもので、投資先の国家や企業を「じっくりと育てる」という考えを持っていない。
彼らがほしいのは「投機的な暴利」である。

彼らの行動を非難するのは容易だが、彼らの存在を排除することは不可能である。まるでゴキブリと大差ない。せっかく排除したとしても、新たな投機家が這い出してくるだけである。

 ◇ ◆ ◇

●彼らの無道な行いに打ち勝つ方法は、こちらも彼らに対抗するつもりで積極的な行動をとることかもしれない。

後ろ向きに歩けば無論彼らに大差をつけられることは明白だが、「何もしない」(default)でいても、やはり彼らに大差をつけられてしまうだろう。

彼らは周囲の人々の苦しみなど知らず、「無邪気に頑張る」だろうからな。

 ◇ ◆ ◇

●何人かのブロガーと交流して、月臣が(個人的に)うらやましく思う人がいる。

それは、農業や漁業をする人々だ。

彼らは、農地なり、漁業権なりを確保していて、どんなに酷いときでも自分の家族を養うだけの産物を得ることができる。

自分が耕すべき土地(魚場)を持っている、というのは素晴らしいことだ。

土地を持たない都会人は大変だ。失業して収入がなくなったらアパートだって追い出されてしまう。山手線の架橋の陰でダンボールハウスを組んで暮らさなければならない。

年をとっても、頼みの綱の年金をもらえるかどうかだって危ういもんだ。

 ◇ ◆ ◇

●世の中とは、常に「危ういもの」であり、人々の生き方は十人十色だ。

ただ、「自分の人生でこれだけはやり通す」とか、「これだけは絶対にやらない」というものがある人は精神的に強い。

その「基本思想」がよほど反社会的でない限り、その思想を軸として生活様式を構築できるからだ。

そして、自分の信じた生き方を断固として行い、たとえ結果が思わしくないものであったとしても、自分自身の心の中には「大切なもの」が存在し続けるのである。