【サムライの思想】

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【サムライの思想】

この記事は、亜州さんからの転載記事
イスラエルハマスは、とにかく殺し合いをやめろ! 子供を死なせておいて何が大義だ!!」
http://blogs.yahoo.co.jp/knight_tukiomi/22121626.html
へのコメントの続きとして書き始めた、月臣の考え方です。

亜州さん、
「サムライ」は1人ではいけません。
理想的には日本人全員が「サムライ」となり、
世界中に「サムライの思想」を広めてゆくのがよいと思います。

亜州さんがサムライになりましょう。
僕もサムライになりたいです。
なるべく多くの人がサムライを目指しましょう。

アフガンのカルザイさんが「日本のサムライのように」と言った、
あの「サムライ」に。


日本の武士階級は、戦士であり、貴族であり、教養層(読書人)であったと思います。
その思想の土台は、

1)一つ一つの物体・現象に「神が宿っている」とする八百萬の神道思想

これは原始的な信仰の形で、ナマの人間の肉体(体性感覚)に非常によくフィットする。
しかも、大和朝廷が日本を統一する過程で、「征服はされても消去はされなかった」
異質なものを受け入れる寛容さをも表している。
最高神が設定されながら、「彼女」は唯一絶対神ではなく、家族や兄弟に対する迷いの心をも持ち合わせ、八百万の神々と共存し、時に知恵を借り、時には「ひきこもりからの脱出」さえ助けられてしまっている。



2)武士階級の思想のその2は中国伝来の仏教思想・儒教思想ほか、※(↓)諸子百家
八百萬の思想をベースに、「先進中国」の思想を貪欲なまでに吸収し、平安時代と江戸時代の「2回の鎖国(悪く言えば”ひきこもり”)」で、それらの思想は「熟成」され、明治維新の原動力となる、「寛容さを兼ね備えた力強い思想」を『醸成』した。

その思想は、
その思想を『醸成』した階級への「憧れ」は、
演劇や書物・絵画などを通じて、広く民衆(農・工・商・他)にまで行き渡りました。

のみならず、その『醸成』された「真に高貴な態度」は、外国人からも一定の評価を受け、
現在に至るも、外国人の手によって「サムライ」の姿は映画やアニメ・ゲームの世界にまで描かれています。

これが、僕たち日本人の、「秘めたる底力」。

特定の政治家「だけ」が備えている「特別な力」ではありません。


亜州さんの心にも、月臣の心にも、竹田の里さまの心にも、琵琶さまの心にも、喜多先生の心にも、Nipponia_Nipponさんの心にも、堀端さんの心にも、破入さんの心にも、IBさんの心にも、時雨さんの心にも、ぬくぬくさんの心にも、

_| ̄|○≡Э(ゼイ、ゼイ・・・)

ひとりひとり、立場や基本思想は違うにせよ、私たちは「日本人のよいところ」を「全員が」持っています。

それは、世界中の人に、胸を張れる「善良な素質」です。

その「善良な素質」を、押し付けることなく、それぞれの行動で「じんわりと」浸透させ、世界の人々の心に、ひとかけらでも「サムライの思想」を『醸成』させてゆく。

それが、僕たち日本人にできる、「身近で、有効な手段」なのではないでしょうか。


 ◇ ◆ ◇

※【諸子百家】(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6
↓↓↓

[抜粋]

諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。
「諸子」はもろもろの学者を、「百家」は多くの学派を意味する。

春秋時代に多くあった国々は次第に統合されて、
戦国時代には7つの大国(戦国七雄)がせめぎ合う時代となっていった。

諸侯やその家臣が争っていくなかで、富国強兵をはかるためのさまざまな
政策が必要とされた。

それに答えるべく下克上の風潮の中で、下級の士や庶民の中にも
知識を身につけて諸侯に政策を提案するような遊説家が登場した。

諸侯はそれを食客としてもてなし、その意見を取り入れた。

さらに諸侯の中には斉の威王のように今日の大学のようなものを整備して、
学者たちに学問の場を提供するものもあった。