++オバマ大統領就任

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++オバマ大統領就任

Wikipediaより抜粋】
この記事は、皆さんの議論への利を考慮し、Wikipediaからの抜粋のみにより記事を立てました。
Wikipediaの元記事は、「非常に長い」ので、興味のある方は、こちらの記事を一読の上、
下記のリンクからWikipedia本文を御覧になると、情報の整理に有利かと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E

 ◇ ◆ ◇

バラク・フセイン・オバマ・ジュニア(英語: Barack Hussein Obama, Jr.、1961年8月4日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。第44代大統領。

政党は民主党
選挙により選ばれたアメリカ史上3人目のアフリカ系上院議員イリノイ州選出、2005年 -2008年)。

2008年アメリカ大統領選挙で当選後、任期を約2年残して上院議員を辞任した。

アメリカ大統領としては初のアフリカ系・1960年代以降生まれ・ハワイ州出身者となる。


生い立ち

1961年8月4日にハワイ州ホノルルにある病院で出生した。
実父のバラク・オバマ・シニア(Barack Obama, Sr.)(1982年没)はケニアのニャンゴマ・コゲロ(Nyang'oma Kogelo)生まれのイスラム教徒(ムスリム)、母親はカンザス州出身の白人、アン・ダナム(1995年没)である。
2人はハワイ大学で出会い、1961年2月2日に周囲の反対を押し切って結婚した。
イスラム教の戒律(イスラム法)では「ムスリムの子は自動的にムスリムになる」とされているが、オバマ自身は現在キリスト教徒(プロテスタント)であると表明している。
オバマは自伝で、「父はムスリムだったが殆ど無宗教に近かった」と述べている。
両親は1963年に別居し、1964年に離婚した。
1965年に実父はケニアへ帰国した。
異父妹が1人、異母兄弟が8人(うち、4人死没)いる。

※なお、オバマ自身は1971年に一度だけ実父と再会している。
(実父は1982年に自動車事故が元で死亡した。)


その後、人類学者となった母がインドネシア人地質学者のロロ・ソエトロ(Lolo Soetoro)(1987年没)とハワイ大学で知り合って再婚したことに伴い、1967年にインドネシアジャカルタへ移住した。
地元の学校に10歳まで通った。
1970年に母と継父の間で異父妹のマヤ・カッサンドラ・ソエトロが誕生した。
1972年、母がソエトロと一時別居して実家があるハワイのホノルルへ帰国した。
1977年、母はオバマをハワイの両親に預け、人類学者の仕事でインドネシアに戻り、1994年まで現地に滞在した。


※この間、1980年に母のアンと継父のソエトロとの離婚が成立した。

母のアンは1995年に卵巣癌で亡くなった。

以上のように、オバマはハワイにおいて白人の母親と母方の祖父母(共に白人)によって育てられたという出自である。
母方の祖父母はスタンリー・ダナム(1992年没)とマデリン・ダナム(2008年没)である。
オバマは1971年に地元の有名私立小中高一貫校のPunahou_School(w:Punahou School)5年生として転入した。
在学中はバスケットボール部に所属し、高校時代に飲酒や喫煙、大麻やコカインを使用したと自伝で告白している。


青年時代

1979年に同高校を卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスの私立オクシデンタル単科大学に入学。
2年後、ニューヨーク州コロンビア大学編入政治学、特に国際関係論を専攻する。
1983年に同大学を卒業後、ニューヨークで出版社やNPOで勤務し、1年間を過ごした。
その後、イリノイ州シカゴに転居した。
シカゴでは教会が主導する地域振興事業(DCP)の管理者として3年間従事し、職業訓練支援などを行った。
事業所の人員を1名から13名に増員させ、年間予算を当初の7万ドルから40万ドルに拡大させるなどの業績を残した。
1988年年央にケニアと欧州を旅行し、ケニア滞在中に実父の親類と初めて対面した。
同年秋にハーバード大学ロースクールに入学。
1990年2月にはアフリカ系として史上初の「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長を務めた。
1991年、法学博士の学位を取得、同ロースクールをmagna cum laudeで修了しシカゴ大学の法学フェローとなる。
1992年に、シカゴの弁護士事務所で知り合ったミシェル・ロビンソンと結婚し、1998年にマリア、2001年にサーシャの2人の娘をもうけた。
1995年には、自伝”Dreams from My Father”(邦題:『マイ・ドリーム』 出版社: ダイヤモンド社 ISBN 9784478003626)を出版。


政界に

イリノイ州議会議員

ハーバード大学ロー・スクールを修了後、シカゴに戻り有権者登録活動(voter registration drive)に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。
またシカゴ大学ロースクール講師として合衆国憲法を1992年から2004年まで講じていた。
人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して1996年にイリノイ州議会上院の議員に選出され2004年1月まで務めた。
なお、2000年には連邦議会下院議員選挙に出馬したがオバマを「黒人らしくない」と批判した他の黒人候補に敗れた。

合衆国上院議員

2003年1月にアメリカ合衆国上院議員選挙に民主党から出馬を正式表明し、2004年3月に7人が出馬した予備選挙を得票率53%で勝ち抜き同党の正式候補となった。
2004年11月には、共和党候補を得票率70%対27%の大差で破り、イリノイ州選出の上院議員に初当選した。アフリカ系上院議員としては史上5人目(選挙で選ばれた上院議員としては史上3人目)であり、この時点で現職アフリカ系上院議員オバマ以外にいなかった。

(中略:以後、大統領当選まで)


政策

政権スタッフ

2009年1月5日に、以下の各長官任命を行った。

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大統領:バラク・オバマ
副大統領:ジョー・バイデン

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国務長官:ヒラリー・クリントン
国防長官:ロバート・ゲイツ

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財務長官:ティモシー・ガイトナー
司法長官:エリック・ホルダー

内務長官:ケン・サラザー
農務長官:トム・ヴィルザック
商務長官:未定
労働長官:ヒルダ・ソリス

保健社会福祉(厚生)長官:トム・ダシュル
住宅都市開発長官:ショーン・ドノヴァン

運輸長官:レイ・ラフッド
エネルギー長官:スティーヴン・チュー
教育長官:アーン・ダンカン

退役軍人長官:エリック・シンセキ
国土安全保障長官:ジャネット・ナポリターノ

(中略:環境政策

安全保障

イランや北朝鮮など、ブッシュ政権以降の敵対する国家に対する強硬政策を転換し、対話路線を重視している。

第41代大統領のジョージ・H・W・ブッシュ湾岸戦争を評価しており、アメリカ主導の国際協調を理想としている。
イラク戦争には一貫して反対しており、開戦直前の2003年3月16日にブッシュ大統領サダム・フセインに対して48時間以内のイラク撤退を求める最後通牒を出した際、シカゴでの反戦集会で聴衆に対して「まだ遅くない」と開戦反対を訴えた。

就任後は段階的な撤退を目指すとしている。

イラクに拘ればアフガンで泥沼にはまる」と述べ、治安が悪化しているアフガニスタンパキスタンアメリカ軍の増強を検討。
州兵に頼らない10万人の正規兵を増派するとしている。

「国際的な核兵器禁止を目指す」とも発言しており、ロシアと協力し
双方の弾道ミサイルを一触即発の状況から撤去し、兵器製造に転用可能な
核分裂性物質の生産を世界的に禁止、更に米ロ間の中距離弾道ミサイル
禁止を国際的に拡大することを目指すとしている。

(中略:人物)


懸念材料(抜粋)

オバマは「アメリカ史上初の黒人大統領」となる。
(ただし奴隷制時代を経験した先祖を持たないケニア人の父と白人の母親の間に生まれた混血。)

1964年のジョンソン政権時に成立した公民権法が施行されてから40年以上が経過しているが、未だにアメリカは南部を中心に深刻な人種差別問題を引きずっており、今回の「黒人のアメリカ大統領」誕生が与えるイメージ変化は計り知れず、そうした面から当選を願う声も多かった。
しかし反面「人種差別の過激派(KKKなど)が暗殺を企てるのではないか」と指摘されたこともあり、当選後も厳重な警護がなされている。

また予備選においては意識的に自らの人種を強調しない戦略をとったにもかかわらず、オバマ一家と関係の深いジェレミア・ライト牧師が白人を敵視するかのような発言を繰り返すなど選挙戦でも人種問題と無関係ではいられない状況にあった。

なお20世紀以降に大統領となった人物の多くが知事か副大統領としての行政経験を持ち、若さを売りにしたケネディでさえも上下院合わせて10年以上も連邦議員を経験してから大統領となっている。
州議会議員の他は上院議員1期だけという政治経歴は例外的に短い。このことは「既成の体制から自由である」という清新なイメージを与える点で大きな強みとなるが、一国の大統領として国家を運営していけるかという根強い懸念を生んでおり対抗馬による攻撃対象の一つとなっていた。

(後略:ジェレマイア・ライト牧師・問題点と疑惑)