++人間が生きてゆくための現実的な戦い方。

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田沼意次】1719-1788
彼が失脚し、松平定信寛政の改革を断行すると、
人々は「白河(白河殿=定信)の清きに魚も住みかねて、
もとの田沼のにごりこいしき」と歌って、揶揄した。
 
●多くの人々は、生きるために必死で、「明日にはメシが食えなくなるかもしれない」「老後には、誰も面倒を見てくれないかもしれない」といった厳しい不安感に苛まれつつ生きている。

他民族への関心を持つ暇もない人々は、悪人ではない。
役人に賄賂を握らせてでも商売を存続したいと願う商人も、元来は悪人ではない。

ただ、「善悪の判断をするゆとりもないほど追い詰められながら」ひたすら生きたいと願っているだけなのかもしれない。

●例えば最近の研究では、「田沼意次」の政治が、必ずしも汚職まみれの悪政だったわけではない、という意見が出されているようです。

彼の行った政治(行政)は、「重商主義政策」であり、経済を活性化させることで、国全体を強く作ってゆく、というやりかた。

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現在の日本も、技術開発・加工貿易を軸にした「重商主義政策」で運営されているし、江戸時代の藩政改革で名君と呼ばれた藩主たち(上杉鷹山など)も、特産品を輸出することで藩政を立て直す方法をとった。
←【上杉鷹山】1751-1822
江戸中期の米沢藩主。日向(ひゅうが)高鍋(たかなべ)藩主秋月種美の二男。上杉重定の養子。名は治憲(はるのり)。倹約・殖産興業政策などで、藩政改革に努めた。童門冬二氏の小説が有名。

●このやり方は、カネの絡むやり方なので、どうしても「汚れたイメージ」に陥りやすい。

ただただ誠実に生産活動を重ねている段階では、まだまだ清々楚々としたものだが、人間とは誰しも「もう少し幸せになりたい」「アイツに先を越されたくない」と思うもの。

ある程度の資金力ができてくれば、政治家や役人に、「自分の商売に有利な環境(新法)を作ってくれ」と陳情してでもシノギを削ろうと試みるものである。

重商主義政策を執れば、経済は活性化するが、汚職もまた、必ず発生するのである。

●以上の流れを踏まえれば、人間が、人間の集団が、自らの存続を賭けて試行錯誤を繰り返し、結果として「汚れた争い」を繰り返すことには、何の不思議もない、「一貫した生命活動の結果」と言うことができると思う。