【堯】[Yáo]「禅譲」の利を表現する伝説の帝王。

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【帝  堯】[dì - Yáo]
禅譲」の利を表現する伝説の帝王。
 
【誕生】
中国の伝説上の帝王。実在は確認されていないが、原始時代の狩猟採集社会から、古代封建社会への過渡期に現れた名君をモデルとし、春秋期(BC500年前後:孔子の時代)には有能な人材に帝位を譲る「禅譲」の典型として描かれた。父は黄帝の曾孫:嚳(コク)。母は陳鉾氏の娘。異母兄弟に摯(シ)・后稷(コウショク)がいる。
 
【治世】
自ら質素な邸宅に住んで倹約を奨励し、官制や暦を整えた。10個の太陽が一度に出るような大旱魃の折には弓の達人「羿(ゲイ)」を登用して余計な9個を射落とさせた。大洪水の折には周囲の勧めで鯀(コン:黄帝の曾孫・禹の父)を登用したが、9年経っても芳しい成果を上げられなかったので、鯀を処罰・追放し、死に追いやった。
 
【人材登用】
後継者候補として嫡子:丹朱や有力諸侯:共工が挙げられていたが、これらを不適格として広く一族に人材を求め、紀元前2144年ごろ、即位70年目にしてついに、黄帝一族の傍流で、孝子の誉れ高い「舜」を見出してこれを試すことにした。はじめの3年間で自らの2人の娘を結婚させてその情愛の緩急や家父長としての力量を見極めると、次第に国政の大事を執らせていった。
 
崩御
紀元前2124年、治世90年目にして舜の行政手腕を見極めた堯は、舜を摂政に任命し、隠退。8年後の紀元前2116年、98年の長きにわたる治世を全うして亡くなった。