【食品廃棄で本当につぶれてしまった某コンビニ】

イメージ 1
【食品廃棄で本当につぶれてしまった某コンビニ】
 
「ベルトコンベア早すぎんだよ!!!」
「レタス入ってねぇーだろ(怒)」
「ナマステ???」
「★□◎♪§π!!??」
 
 かつて某F社からの派遣で、某コンビニの工場で働いた時の作業風景である。
日本人・外国人が共に働き、ベルトコンベアでサンドウィッチを作る作業に充てられたのだが、印刷と同じで、不良品などによる不足を避けるため、発注量よりも多めに製造し、余剰分のうち、ごく少量を従業員向けに半額で販売し、多くは作りたてでも、包装フィルムをはがして廃棄していた。
 
 特に、ついさっき阿鼻叫喚・厳しい罵声といった極上極まりない好環境に愛撫されつつ苦労して作ったばかりのチキンタツタサンド」を、ポリバケツいっぱいに廃棄するように言われたことは非常に印象的で、「こういうことをやっていては、このコンビニチェーンはきっと潰れてしまうに違いない」と思っていたものだが、先日、本当に潰れてしまった、という報道を目にしたので、何か教訓的なものを実感すると同時に、食品廃棄や食品リサイクルについて、「真に常識的な考え方とは何か」ということについて考えてみたくなった。
【食品リサイクル法】Yahoo!百科事典より転載。

 食品廃棄物の排出抑制や資源としての有効活用を促進する法律。大量生産・大量消費社会から循環型社会への転換を促す目的で、食品会社、小売り、外食など食品を扱う全事業者に「食品廃棄物の減量、リサイクル、熱回収」などの促進を求めている。とくに食品廃棄物の年間発生量が100トン以上の大規模事業者にはリサイクル率(再生利用実施率)などの報告を義務づけ、取り組みが不十分な場合には、企業名の公表や罰金などの厳しい措置をとる。
 
 ◇ ◆ ◇
 
 正式名称は「食品循環資源の再生利用等の促進に関する法律(平成12年法律第116号)」。

 日本では売れ残りや食べ残しなどの食品廃棄物は年間約1000万トンに上り、一般廃棄物の2割強を占めていた。このため2001年(平成13)に食品リサイクル法を施行。リサイクルの定義を飼料、肥料、油脂・油脂製品、メタンへの再生、脱水などによる減量と定め、実際の廃棄物のうち、一律20%をリサイクルするという目標達成を目ざした。しかしコンビニエンス・ストアなどの小売業や外食産業ではリサイクル率が依然低く、2007年に改正法を施行。炭化製品(燃料および還元剤)やエタノールへの再生もリサイクル対象に加えた。また、再生施設が近く(半径75キロメートル圏内)にない場合などに、廃棄物を燃料として活用する熱回収も認めた。

 ごみは原則発生した市町村で処理し、域外持ち出しは廃棄物処理法で厳しく制限されている。しかし、店舗の食品廃棄物から飼料や肥料をつくり、これで育てた肉や野菜をふたたび店舗で売るリサイクルループ(再生循環)を達成した場合、改正法は広域からの食品廃棄物の収集を認めた。
 改正法は大規模事業者に対し食品廃棄物の量やリサイクルの状況などを毎年度、国に報告することを義務化した。また、従来一律20%だったリサイクル率を、前年度の達成状況に応じて各事業者ごとに設定する方式に変更した。第1回目の報告は2009年4月から6月に行われた。
【月臣の雑感】
●食品は、「栽培・飼育⇒加工⇒販売⇒消費」、また、「輸送」も含め、各段階でいくらかずつの食品廃棄物を発生する。
 
確かに、ある程度のムダなら「人間社会の活性化のため止むを得ない」と言うこともできるとは思う。
 
しかし、あまりにも多くの食品が廃棄される現状を見れば、また時として、自分自身が食品廃棄の当事者となる体験をすれば、ふつうの感覚の人間は多かれ少なかれ心に痛みを感じるものである。
特に、牛・豚・鶏など、我々人間と同じように命を持ち、家族を持ち、魂を持つ生き物が、生産効率の名のもとに大量に廃棄される風景は、実に痛ましいものである。
 
●上記とは別の某コンビニで働いていた時には、「消費期限切れ廃棄」も毎日オリコン(折りたたみ式のコンテナ:タテ40cm×ヨコ60cm×深さ30cmくらい)3~4杯、値下げ販売も従業員への配分もなし、せめてもの救いは肥料等へのリサイクルシステムが確立し、業者が回収にきていたことくらいで、このコンビニもその後「各店舗オーナー・店長による訴訟」が起こり、ニュースでよく取り上げられたものである。
 
現在は、コンビニの中に調理場を設置し、揚げ物などはその場で調理する、と言う工夫のおかげで、多少は廃棄も減っているというが、なんと言ってもコンビニの食品廃棄で痛ましいのは、「コンビニの顔」ともいえるおにぎり・サンドウィッチ・お弁当であり、見たところ、これらの品物に関する廃棄の量は減っていないのではないだろうか?
 
●現代の「洗練された」いや、むしろ、「爛熟した」資本主義社会において、「企業経営優先」が謳われるまではともかく、株式・金融・先物取引など、投機的な目的が独走・暴走し、人間性や自然性が極端に損なわれる社会にあって僕たちのとるべき道は、「人間にとって、何が真実なのか」について多少なりとも気を留め、「偽りの常識」を破壊することではないだろうか??
 
イメージ 2 ●「人間にとっての、本当の真実」を、
月臣は【心のクリスタル(結晶)】
と呼んでいる。
 
 
人間の存在も、宇宙の存在も、『煙』のように日々変転するものである。
 
気流が予想外の変化をして天気予報が外れるように、人々の社会活動も、宇宙そのものの存在も、日々変転し定めなきことは、太古から知られていることである。
 
『この世に確かなものなど何もない』、とまで考える人もいるはずである。
だが、その考えは誤りである。
 
物質が時として、温度や環境の変化に応じて美しい結晶を作るように、人間の社会活動にも、『結晶』の発生する局面があるものだ。
 
どんな苦境にも決して変化せず、人々の心の中に光り輝く『結晶』。
 
●今回の「食品廃棄」の話題に関して言うならば、『食べ物を粗末に扱うことは、”滅亡”につながることである』という考え方を「結晶」と呼ぶことができると思う。
 
”滅亡”とは、「個人の滅亡」かも知れないし、「企業の滅亡」かも知れないし、「人間の滅亡」なのかもしれない。
 
●個人的な感想を述べさせてもらうなら、特に、「畜肉の食品廃棄」は、数ある人間の『業(ごう)』の中でも、『サイテーの部類に属するもの』なのではないかと思うものである。
 
『食べるために獲り、
食べるために加工し、
骨の髄に至るまで無駄なく消費する。』
 
人間のために命を落した動物たちの苦しみや悲しみを心の片隅に置き、『食べつくすことで償いとする。』という考え方をすることが、「食品廃棄に関する心のクリスタル」と言えるのではないかと思うのである。