【検疫:3】Yahoo!百科事典より転載。

 

4. 検疫の将来像

 船舶検疫においてはその大部分が無線検疫によっていること、空港検疫では旅客に対する水際の防疫はすでに実体を失っていること、輸入食品監視では日常的な検査は全体の数%にも達しないこと。
 これらの事態は、近代国家の国境線もまた、外敵防御の目的を達成できなかった「万里の長城」同様、人間の圧倒的な活動性の前には、いつか踏み越えられてゆく政治的「仕切り」にすぎなかったことを示しているようだ。
 
 この意味は、ベルリンの壁の崩壊も東西冷戦の枠組みを越えて、むしろ「定在する境界」に対する「経済原則に基づく交通」の勝利の象徴のように思われる。
 
 そもそも検疫が対処すべき「感染症の流行」や「食品の安全性」などは特定の国や国民に固有の問題であるわけではなく、本質的には「人類」というレベルで考えるべき問題である以上、その対応もまた、さしあたって全地球的(グローバル)であるほかはないものである。
 
 20世紀において「国際協調」がさまざまな分野で具体化したことは、この世紀が比較的単純な形で全地球的標準(グローバルスタンダード)を信じることができ、またその標準に準拠することが進歩であると思うことのできた世紀であったことを示している。
 
 しかしながら、一方で20世紀が未曽有(みぞう)の戦争の世紀であったとすれば、そのような単純な標準化のもたらす矛盾がつねに露呈して、ついに人類や科学の進歩という概念を終焉(しゅうえん)せしめた世紀であったともいえる。
 
 20世紀を終えた現在のわれわれにとって、「グローバル」とは境界を廃絶した一様な世界の標準の向こう、直線的な時間の彼方(かなた)にみえてくるようなものではないだろう。
 生物界において一見排他的にみえる「棲(す)み分け」が、別の視野、別の次元からみれば「共生」の表現形であるように、ヒトもまた歴史的・文化的に規定されて棲み分けつつ、全地球的に共生するべく運命づけられた存在なのであろう。グローバルとはそういう視点をもたらすもののことであるはずである。
 
 このような認識に基づくならば、将来的な検疫とは、人類の健康的・衛生的危機に対処するための危機管理装置・システムとして作動するもののことになるだろう。
 
 そのためには、これまで地理的な境界線として考えられてきた検疫の前線を視野、次元の異なる二つの方向に展開し直す必要がある。
 
 第一は、起こりうる危機を予測するための情報の前線。
 第二は、いまそこで起こりつつある危機の現場。
 
 第一の前線では、明日の危機を予見するための高度な情報収集と情報解読の能力が必要となる。次にくるヒトの感染症を流行以前に予測するには、全地球という生態系のなかでウイルスバクテリアの生態動向に迫らなければならない。
 企業ベースでたとえば近日中に宣伝されようとしている改良食品があるとすれば、その安全性確保のためには、遺伝子工学合成化学の最新の知識ばかりでなく、需要と供給と企業論理のなかで、それらがいつ、どこで、どのように製品化されたのか、またされうるかを理解し予測する社会学的・経済学的情報処理も必要であろう。
 
 第二の前線では、迅速な起動力と強力な現場管理の臨時行政権をもつ実行部隊とその指令部が必要である。これは疫学知識に基づくサンプリング能力、的確な病理鑑別診断能力、厳格な指揮監督能力、経済原則にのっとった制裁や補給への配慮など、いつでもどこへでも展開できる感染危機対策の作戦部隊としての要件を満たすように、思いきった権力委譲を前提にして組織するべきである。全地球的な組織の下にローカルな部隊が編成されている、感染症に対する地球防衛軍的構想が現実的な問題となってくるかもしれない。
[ 執筆者:西澤光義 ]

参考文献

  1. 奥村鶴吉編『野口英世』(1933・岩波書店
  2. 厚生省生活衛生局編『検疫制度百年史』(1980・ぎょうせい)
  3. 小倉正行著『輸入大国日本・変貌する食品検疫 低下する食料自給率と検疫体制の空洞化』(1998・合同出版)
他。