【国家総動員法(コッカソウドウインホウ)】1938年。
【首相:近衛文麿公爵】
【国家総動員法(コッカソウドウインホウ)】(yahoo!辞書)
国家総動員法(こっかそうどういんほう)(Yahoo!百科事典)
日中戦争後、第二次世界大戦中に行われた網羅的動員統制法で、1938年(昭和13)4月公布、5月施行。日中戦争勃発(ぼっぱつ)直後、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は臨時資金調整法、輸出入品等臨時措置法などの経済統制法規を制定し、さらに戦争拡大に伴って臨戦体制を強化し、国民精神総動員運動を展開、企画院を設置した。
その企画院を中心に立案された国家総動員法案は、電力国家管理案とともに38年の第73議会に提出され、衆議院では民政党の斎藤隆夫、政友会の牧野良三(りょうぞう)ら自由主義者といわれた議員が「前例のない広範な委任立法で政府は猛省を必要とする」「非常時に名をかりた天皇大権干犯(たいけんかんぱん)の法案である」などと厳しい批判的な質問を行ったが、軍の圧力に押し切られて全会一致で通過した。社会大衆党が法案の実現を強く主張して注目をひいた。
貴族院では一部議員が反対したが、多数で通過となった。
法案審議中、政府説明委員として発言した陸軍省軍務局軍務課員佐藤賢了(けんりょう)陸軍航空兵中佐が、議員から出された同中佐の発言資格を問う疑義に対して、「だまれ!」と一喝して問題となり、杉山陸軍大臣が遺憾の意を表した。
この法律は、戦時においてすべての資源、資本、労働力から貿易、運輸、通信その他あらゆる経済部門に国家統制を加え、国民の徴用、争議の禁止、言論の統制など、国民生活を全面的に国家の統制運用に服せしめる権限を政府に付与した授権法であり、いわば政府への白紙委任状であった。
日中戦争中に、同法に基づく勅令として、国民徴用令、国民職業能力申告令、価格等統制令、生活必需物資統制令、新聞紙等掲載制限令その他の統制法規がつくられ、41年3月大幅な改正が行われて罰則なども強化された。
太平洋戦争に突入すると、その適用は拡大され、国民生活を全面的に拘束した。