【インド数字伝来前のアラビア数字】

[メモ]
【インド数字伝来前のアラビア数字】
古代インド数字(ブラーフミー)から現在のアラビア数字までの流れ。
 
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[ゼロの概念登場以前のインド;「ブラーフミー《(梵)Brahmi》数字」(A.D.1世紀ごろ)]
 
 歴史検定の対策をやっていて、「ゼロの概念」というキーワードに興味を持ったので、少々調べてみました。
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[6世紀ごろインドのバラモン(braahmaNa:ブラーフマーナ:聖職者)によって発明された
「ゼロ」を含む10個の「インド数字」。]
 
 「ゼロの概念」は、周辺地域への伝播の状況から、6世紀ごろ、インドのバラモン(聖職者・学者)によって開発されたようである。
 インドでも、「ゼロの概念」が登場する以前には、10、20、30・・・などの数に、それぞれ独自の文字が使われていたそうで、「足し算引き算はなんとかなっても掛け算割り算は難しい」という状態だったらしい。
 
 日本語で言えば、「十、廿、卅・・・」や、「百、千、万・・・」といった文字によって租税や商取引の記録を残すために使われた数字に相当するものが「ブラーフミー数字(古代インド数字)」であり、ちょうど仏教が日本に伝わった6世紀までインドでは存在し、使われていた、ということである。
 
 下の図は「現在のアラビア数字=新しいインド数字:古代アラビア数字」の対照表。
 古代アラビア数字にもやはり、「10、20、30・・・」などについて、それぞれに文字が定められているが、この文字では「記録」はできても「計算」は難しかったようである。
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[アラビア数字・インド数字・古代アラビア数字の対照表]
各列の左から、我々の使っているアラビア数字
インド数字、元々アラビアで使われていた数字。
 
 「ゼロの概念」の画期的なところは、「位取り記数法」によって計算が飛躍的に簡単になるところである。
 日本の漢数字で言えば、「億、万、千、百、十」などの、「位を表す文字を省略」する代わりに、「数字を書く位置を定める」ことによって、「筆算の視覚的な整理」に成功したのである。
 
 ゼロの概念を含むインドの数学は、アッバース朝[750 - 1258]の最盛期(850年頃まで)イスラム世界で意欲的に導入されてゆき、古くから使われていた「アラビア固有の数字(1~9)」は、インド数字へと置き換えられていった。
 
 フワーリズミー["フワーリズム(ホラズム)出身の人"の意。:Abu ‘Abd  allah  Muhammad ibn Musa  al-Khwrizmi (780ころ~850ころ) ]は、アッバース朝第7代カリフ:マームーン(在位813~833)のころに『インド数字による計算法』(Algoritmi de numero Indorum)を著し、イスラム世界における天文・測量、ひいては商業・文化の発展の基礎を築いた。
 
 強勢なイスラム世界が、東はビザンツ帝国、西はイベリア半島を圧迫し、その文物は地中海貿易によって東西ヨーロッパ世界にまで浸透していったが、その過程において、そもそもは聖職者・学者が用い、華麗な筆跡を伴う「インド・アラビア数字」は、下級官僚や商工業者にも簡易に使用できる「直線の組み合わせによるデザイン」へと改良されてゆき、現在私たちが使っている10個の「アラビア数字」として完成されたのである。
 
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[コーナーの数を図案化したといわれる、現在のアラビア数字の原形]
「ゼロ(0)」は「角のない”まんまる(≒新月型)”」
 
こちらの画像については弊ブログの記事[転載]【アラビア数字のナゾ】を御覧下さい。
(イメージ 4ファン限定)