【2.十字軍の動機】[小学館;橋口倫介氏]
[メモ]
【十字軍の動機】
1.前史
11世紀後半には、シリア・パレスチナからエジプトのファーティマ朝の勢力を追い払い、また1071年、マラズギルトの戦い(Malazgirt)でビザンツ軍を破り、ビザンツ皇帝ロマノス4世を捕虜とした。この事件が、十字軍の引き金となった。
【左】東ローマ皇帝:ロマノス4世ディオゲネス
【右】セルジューク朝第2代スルタン:アルプ・アルスラーン
アルスラーンはロマノス帝を寛容に扱い、和平を約束したうえ、丁重に護衛の兵を付けて釈放した。2人が会見したときの有名な会話は記録として残されている。
アルスラーン「もし捕虜となったのが逆に私の方だったならば、貴方はどうするだろう?」
ロマノス「きっと貴方を処刑するか、コンスタンティノープルの街中で晒し者にするだろう。」
アルスラーン「私の下す刑はそれよりも重い。私は貴方を赦免して自由にするのだから。」
【十字軍の動機】
[小学館;橋口倫介氏]
2.地中海世界の状況
11世紀中ごろセルジューク・トルコが東イスラム圏の実権を握り、エルサレムをはじめシリア、小アジアの要衝を相次いで占領し、1071年マラズギルトMalazgirt(現トルコ東部)でビザンティン軍を撃破したため、ビザンティン帝国は強い危機感を抱き、国土防衛と失地回復を目的とする戦略的親西欧政策を採用し、ナポリ、シチリアに進出していたノルマン人騎士や聖地巡礼途上の西欧諸侯に傭兵(ようへい)派遣を要請したり、1054年の東西教会分離以来疎遠になっていたローマ教皇庁との再接近を図るなど、西欧人の介入に道を開いた。
【皇帝アレクシオス1世】
これを受けて教皇ウルバヌス2世は、東西教会の再合同、東方における教会国家の創設、西欧諸国民の大量移民などを目的とする大規模な救援軍派遣計画を構想し、同年11月クレルモン公会議開催中に第1回十字軍発動の宣言を行った。
同教皇はまた、即位以来の懸案であるドイツ(神聖ローマ)皇帝との「聖職叙任権闘争」を教皇側に有利に解決する意欲と、西欧封建社会の積弊であった諸侯・騎士同士の私的闘争を「神の平和」運動によって抑止する念願とを達成するため、十字軍運動の盛り上がりを巧みにとらえ、教皇代理ル・ピュイLe Puy司教アデマールAdhmarを総司令官とする軍団編成をフランス諸侯に呼びかけた。
[ 執筆者:橋口倫介 ]