【秩父へ3】 福島原発の事故を口実とした最大距離サイクリング

 [独自避難]
秩父へ3】
 福島原発の事故を口実とした最大距離サイクリング
 
 
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正丸駅をあとにし、16:16、「本邦帝王切開術発祥之地記念碑」前へ。
 
 
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【左写真】岡部均平(左)と伊古田純道(右)
 
 
【右写真:銘文1】
『嗚呼実ニ西醫ノ賜ナリ 自今若シ此ノ
 ああじつにせいいのたまなり     じこんもしかくの
あぁ、じつに西洋医学の賜物である。今後もしこの

如キ難産ニ遇テ母子両全ヲ得ン事ヲ欲セハ 速
    ごときなんざんにあいてぼしりょうぜんをえんことをほっせば   すみやか
ような難産に遭って母子の両方が無事であることを望むのなら、すみやか

ニ此ノ術ヲ施スニ如カス 只恐クハ世人ノ倍セ
 にこのじゅつをほどこすにしかず   ただおそらくはせじんのばいせ
にこの術を施すべきである。ただ心配なのは(この施術法が)世間に増え

サル事ヲ 冀クハ救世ニ志シアルモノ 西医ノ我
 ざることを  こいねがわくはきゅうせいにこころざしあるもの  せいいのわれ
ないことである。私が強く願うことは、救世に志のある人が、西洋医学が自
 
ヲ誣サルヲ知テ疑ヲ存スル事勿ン 之ヲ記シテ
をあざむかざるをしりてうたがいをそんすることあらん   これをしるして
を欺かないことを知って、疑念を抱かないことである。これを記して

以テ同志ニ貽ル』
もってどうしにおくる
(そうして)同志に贈るものである。

    嘉永五年壬子四月廿七日
    1852年4月27日

        秩父大宮
        秩父大宮
          伊古田純道識
          伊古田純道著

    伊古田純道識筆「子宮截開術実記」より
 
 
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【銘文2】
 
 1852年(嘉永5年)6月12日(旧暦4月25日)ここ本橋家で 我が国最初の帝王切開術が行われた

 難産に苦しむ本橋みと(1820-1908)の生命を救うため 秩父郡宮郷(現秩父市)の伊古田純道と秩父郡我野郷南川村(現飯能市)の岡辺均平とが 親族への説明と承諾の下に子宮切開術を実施して胎児を出し 産婦も手術によく耐えて 満88歳の長寿を全うした

 鎖国下 オランダ産科書の翻訳を頼りに日本で初めての開腹術 しかも致命率の高かった帝王切開術を麻酔なしに成し遂げたことは まさに奇跡的成功であった その後 1879年(明治12年)まで27年間本邦でこの手術が行われた記録はない
 伊古田純道の『子宮截開術実記』の結びには西洋医術の成果に対する感動と確信が延べられている

 術後135年を経過した今日 本橋家の地内に記念碑を建てて その偉業をたたえる

  1987年6月12日
        「帝王切開術発祥の地」記念会
              日本医史学会
              日本産科婦人科学会
              埼玉県医師会
 
参考サイト:「発祥の地コレクション
 
◇ ◆ ◇
 
帝王切開術発祥之地をあとにし、全長2kmほどの正丸トンネルを(自転車で・爆)抜けると、秩父市街地に向けて急な下り坂へと変化する。ママチャリでも相当にスピードが出る。
 
 
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17:00、芦ヶ久保果樹公園村。国道南側の駅前にある、観光用の売店・工作室の建物。
 
 
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日が傾いてきた・・・。
 
 
 
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17:30、横瀬駅付近。三菱マテリアルのセメント工場が見える。
 
 
 
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風情のある民家。
 
残念ながら、ここで左膝に激痛が走り、電車で帰る。電車だとたった2時間程度の道のりに過ぎない(片道1,000円弱)。