【集団ヒステリー】原発事故による避難の可能性と、現実的な避難方法の予測のための参照事項

[群集心理]
【集団ヒステリー】
原発事故による避難の可能性と、現実的な避難方法の予測のための参照事項
 
 
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「ええじゃないか」は、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から翌明治元年(1868年)4月にかけて、東海道畿内を中心に、江戸から四国に広がった社会現象である。天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ、という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。
 
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【集団ヒステリー】
 
 集団の成員の1人の感情や思考が他の成員に伝染し、身体症状や精神的興奮や恍惚(こうこつ)状態などの精神症状が生ずることをいう。
 
 もともとは中世のヨーロッパ、とくにドイツやフランスで、多くの人々が一団となって熱狂的なダンスに陶酔し、身体的にけいれんをおこし幻覚をも伴った没我状態に陥った集団行動のことをいった。こうした行動は悪魔に取り憑(つ)かれたものと一般にはみなされていたが、スペインやイタリアでは毒グモ・タランチュラにかまれて狂乱したものとみなされた。
 
 このような没我的な集団的ダンスは、中世のヨーロッパに限られたことでなく、時代と所を問わず至る所でみられる。中世の集団ヒステリーは、当時の社会的不安、恐怖(たとえば伝染病の流行、気象の異変による天災、政治経済的混乱など)を背景にして起こったものであり、転換ヒステリーと同じようにダンスそのものが通痢(カタルシス)的効果をもっていたことは確かである。
 また、集団的に一体となることで不安からの解放を求めていたと解すこともできるが、ただ病理的な不安の表出というだけでなく、社会的な改革運動の動機も含まれていたと考えられる。もっとも未熟な抗議運動の一種と考えるべき問題も含まれている。こうした集団行動が集団ヒステリーとよばれるのは、集団の成員がヒステリーのように暗示を受けやすく、集団がその成員の行動を一様化する特質をもっているからである。
 
 日本でも、江戸中期以降にみられた世直しの踊りは一種の集団ヒステリーである。いつの時代においても律動的な音楽につれて呪文(じゅもん)やお題目に類したものを唱えて踊り狂い、陶酔した没我状態になる集団行動がみられるものである。
 
[ 執筆者:外林大作・川幡政道 ]