【伊達政宗】山岡荘八・横山光輝

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「敵を憎んで戦さに出れば、阿修羅の働きがせいぜいであろう。

敵を憐れみ、迷いの夢を打ち砕いて救済する者こそ誠の大将というものだ」。

山岡荘八の原作の味わいを活かし、横山光輝の流麗な描写が冴える良作。

山岡荘八横山光輝…。私達はもはや、両人の新作を読むことは出来ない…。
しかし、彼らの残した数々の作品には、人間集団の原理と特性が如実に表現されている。

●人間とは何か。
人生とはどうあるべきか。
今日をどう生きるか。
10年後20年後にはどんな変化が訪れているのか。

●作品に接し、「大きな歴史の流れの中の自分」と言う存在を感受することで、
今日明日の迷いは消えてゆくであろう。




全四巻。

山岡荘八の「徳川家康」全26巻よりも
横山光輝の「三国志」全60巻よりも
お手軽。

しかも、言うべきことはシッカリ書いてる。




参照)愛蔵版 「三国志」 定価:1,575円(潮出版社)
   コンビニ廉価版や文庫版もアリ。

◇ ◆ ◇

 人と人とが寄り合って生きている世界だ。
 その人を信じられないというのは生きながらの地獄に過ぎず、
 この地獄に生きてある限り、無数の悪鬼を自らの手で作ってゆく。
 憎悪の哲学はの、必ずわが身に刃を返すものだ。
 これは人間の力では動かすことのできない天の摂理よ。
 どうじゃな、若殿も、じっと眼を閉じて考えて、心の中に憎いと思う人があるかな?


 <「すると、敵を憎むのも・・・」


 知れたこと!
 憎んで出たのでは阿修羅の働きがせいぜいじゃ。
 そんなことでは誰も救えぬ。
 大将はの、敵を撃滅しようなどとは思わぬものじゃ。
 調伏してゆくものだ。
 憎くはない。憐れに思える。
 迷いの夢を打ち砕いて、正義のありかを知らせて従わせる。
 これを調伏といい、勝ちというのだ。
 どんな城攻めのおりにも、いざ落城とみた時には、
 逃げ道一つは必ず残しておいてやる。
 それだけの余裕がなければ大将をは言い得ない。
 信長どのにはそのゆとりがなかったようじゃ。