【伊達政宗】山岡荘八・横山光輝
「敵を憎んで戦さに出れば、阿修羅の働きがせいぜいであろう。
敵を憐れみ、迷いの夢を打ち砕いて救済する者こそ誠の大将というものだ」。
●人間とは何か。
人生とはどうあるべきか。
今日をどう生きるか。
10年後20年後にはどんな変化が訪れているのか。
人生とはどうあるべきか。
今日をどう生きるか。
10年後20年後にはどんな変化が訪れているのか。
●作品に接し、「大きな歴史の流れの中の自分」と言う存在を感受することで、
今日明日の迷いは消えてゆくであろう。
今日明日の迷いは消えてゆくであろう。
全四巻。
しかも、言うべきことはシッカリ書いてる。
◇ ◆ ◇
人と人とが寄り合って生きている世界だ。
その人を信じられないというのは生きながらの地獄に過ぎず、
この地獄に生きてある限り、無数の悪鬼を自らの手で作ってゆく。
憎悪の哲学はの、必ずわが身に刃を返すものだ。
これは人間の力では動かすことのできない天の摂理よ。
どうじゃな、若殿も、じっと眼を閉じて考えて、心の中に憎いと思う人があるかな?
その人を信じられないというのは生きながらの地獄に過ぎず、
この地獄に生きてある限り、無数の悪鬼を自らの手で作ってゆく。
憎悪の哲学はの、必ずわが身に刃を返すものだ。
これは人間の力では動かすことのできない天の摂理よ。
どうじゃな、若殿も、じっと眼を閉じて考えて、心の中に憎いと思う人があるかな?
<「すると、敵を憎むのも・・・」
知れたこと!
憎んで出たのでは阿修羅の働きがせいぜいじゃ。
そんなことでは誰も救えぬ。
大将はの、敵を撃滅しようなどとは思わぬものじゃ。
調伏してゆくものだ。
憎くはない。憐れに思える。
迷いの夢を打ち砕いて、正義のありかを知らせて従わせる。
これを調伏といい、勝ちというのだ。
どんな城攻めのおりにも、いざ落城とみた時には、
逃げ道一つは必ず残しておいてやる。
それだけの余裕がなければ大将をは言い得ない。
信長どのにはそのゆとりがなかったようじゃ。
憎んで出たのでは阿修羅の働きがせいぜいじゃ。
そんなことでは誰も救えぬ。
大将はの、敵を撃滅しようなどとは思わぬものじゃ。
調伏してゆくものだ。
憎くはない。憐れに思える。
迷いの夢を打ち砕いて、正義のありかを知らせて従わせる。
これを調伏といい、勝ちというのだ。
どんな城攻めのおりにも、いざ落城とみた時には、
逃げ道一つは必ず残しておいてやる。
それだけの余裕がなければ大将をは言い得ない。
信長どのにはそのゆとりがなかったようじゃ。