【稲荷信仰】

[日本民俗]
【稲荷信仰】
 
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 月臣の生家に近い「久我山稲荷神社」。近代朝鮮の革命家「金玉均」の石碑や、「新撰組 近藤勇についての逸話」などがあります。
 
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 周辺には「秦家」「大熊家」が多く、夏祭りには神楽殿で「湯の花神楽」が奉納されて疫病退散を祈り、秋、10月第一土日曜には「例大祭」が行なわれ、周辺の氏子たちが御神輿を担いで久我山中をねり歩きます。
 
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【稲荷信仰】 いなり‐しんこう
 

 稲荷神、および稲荷神社に対する信仰。
 
 田の神の信仰など稲作との結びつきが強く、後世は商売繁盛の守り神ともされる。
 
 狐を稲荷神の使いとする俗信も加わって民間に広まった。
 
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【稲荷信仰】 いなり‐しんこう (Yahoo!百科事典
 
 
 稲荷神および稲荷神社に対しての信仰。
 
 稲荷神を奉祀(ほうし)する稲荷神社は、全国津々浦々に及んでおり、『稲荷神社略記』によると、その数は3万0750余社に上るといわれている。
 これに個人の邸内に祀(まつ)られている稲荷社まで加えると相当数の稲荷神が奉祀されていることになり、稲荷信仰の広くて厚いことがわかる。
 
 稲荷信仰がこれほどまでに普及した事由として、
 
(1)平安時代の初期に教王護国寺(東寺)と結び、その鎮守神として勢力を築き上げた京都の伏見(ふしみ)稲荷大社が、各地に信仰組織を形成していったこと、
 
(2)「稲荷念持(ねんじ)」や「おだいさん」のような民間布教者が広めたこと、
 
(3)民間の「田の神祭り」に乗じて広まっていったこと、
 
などを掲げることができるが、とくに江戸時代の中ごろから飛躍的に発展をしたのは、総本社である伏見稲荷大社の分霊を各地に勧請(かんじょう)するという「稲荷勧請」が一段と盛行したからである。
 
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[右]伏見稲荷大社の千本鳥居
 
 稲荷神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)といわれる。
 「うか」は「うけ」「け」と同意で食物を表すが、『大殿祭祝詞(おおとのほがいののりと)』に宇賀能美多麻(うかのみたま)を稲霊(いねのみたま)と注し、『神代紀』に「倉稲魂(うかのみたま)」とあるように、「うか」は主として稲をさしている。
 要するに、この神は稲の精霊が宗教的に高められて成立したものであろう。
 
 山城国風土記(やましろのくにふどき)』逸文に、「伊禰奈利生(いねなりお)ひき」が「伊奈利社」の名となったとあるように、「いなり」は「稲生」「稲成」「飯成」とも書かれるが、一般に「稲荷」を用いており、その神像の多くも稲を荷(にな)った農民の姿で表現されている。
 これは稲作に従事する農民の姿が、そのまま稲荷神の姿であるという生業即実相の思想によるもので、そこに稲荷信仰の救済の原理もあり、ひいては日本の伝統的な労働神聖の源泉をみいだすことができる。
 
 稲荷神の始原は稲、養蚕、食物の神であるが、中世から近世にかけて商工業が盛んになると、町屋へと拡大され、生産や商業の神ともなった。
 さらに仏家でも荼枳尼天(だきにてん)と習合して祀り、また、稲荷神の使いをキツネとする民間信仰が生じ、その信仰は亜流とはいえ、根強いものがある。
 
 
[ 執筆者:三橋 健 ]
 
 
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[左]女神:ダーキニーの像
[右]伏見稲荷大社の拝殿前のキツネ
 

だきに‐てん【荼枳尼天/枳尼天/荼吉尼天】
《(梵)[da:kini:]の音写》仏教の鬼神で、密教では、胎蔵界曼陀羅(まんだら)外院にあって、大黒天に所属する夜叉(やしゃ)神。自在の通力をもって6か月前に人の死を知り、その心臓を食うといわれる。日本では狐の精とされ、稲荷(いなり)信仰と混同されている。
 
 
きつね【狐】
1 イヌ科の哺乳類。体長45~90センチ、尾長30~55センチ。毛色は主に橙褐色。口先が細くとがり、耳が三角で大きく、尾は太い。雑食性で、ノネズミを狩るときには高く跳躍して前足で押さえる。日本にはキタキツネ・ホンドギツネの2亜種がすむ。森林や草原のほか人家周辺にも現れ、民話に多く登場。人を化かすといわれ、また稲荷神の使者ともされる。《季 冬》「公達(きんだち)に―化けたり宵の春/蕪村」

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いなりしん【稲荷神】(Wikipedia)
 
いなりしん【稲荷神】(Feペディア)