【昨年311独自避難時の"侵攻"ルート画像】´艸`

[余興]
【昨年311独自避難時の"侵攻"ルート画像】
´艸`
 
 
家(中野区) ⇒ 所沢 ⇒ 入間 ⇒ 飯能 ⇒
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(3/13(日) 12:54  高麗川を見下ろしながら国道299号線を走る)
 
 
⇒ 正丸トンネル ⇒ 秩父
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(3/13(日) 17:08  あしがくぼ果樹公園村の夕日)
 
◇ ◆ ◇
 
秩父へは着いたものの、左足間接に激痛が走り、一時、やむなく東京に帰る。
 
◇ ◆ ◇
 
小鹿野
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(3/19(土) 11:03 赤平川の川床は、古く固い岩盤が侵食によって露出し、
川の流れに対して斜めの縞模様が入った変わった姿をしている)
 
 
 
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(3/19(土) 13:41 東京電力 新秩父開閉所 
--- 山の中に突如として巨大な変電施設。現在は、”ガス開閉器”という
コンパクトな機器があるそうで、このような巨大な施設は要らないらしい・・・・。)
 
 
⇒ 志賀坂トンネル
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(3/19(土) 14:06 はるかに見上げる志賀坂峠・二子山。
これからこの峠を登って越える。ギアなしのママチャリで^^;)
 
 
 
⇒ 神流
(神流で日が暮れ、ケータイの電池も切れた。
それでも、月臣は夜通し自転車をこぐ。厳しい上り坂は押して歩いた。
3月とは言え、山の中は寒い。
”何か”が月臣の心にに”行けるところまで行け”と迫っていた・・・。)
 
 
 ⇒ 下仁田 ⇒ 佐久
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放射性物質からの独自避難」を掲げての無謀な自転車旅行だったが、今思えば「都会の閉塞的な生活からの逃避行」だったのかも知れない。
 しかし、その都会での生活なしには、このブログもトレーディングカードのデザインもできないのだ。
 
 月臣は、つくづく「逃げたい」と感じ続けていたのだ・・・。
 
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 一年たってみて、改めて自分のたどった道を地図上に再現してみる。
自分にとっては確かに「無謀な大冒険」だった。だが、「福島の原発から遠くへ離れる」という『カンバン』からすれば、「じつにオソマツな蠢動」に過ぎない。
 
 
 
 
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「自作MAP」と比べてみてもこのとおり・・・ - -;
 
 
 
 
 
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文科省のマップ」と比べるにいたっては、『わざわざ ”わずかに沈着量の多い群馬県南部” に突進』などという「大愚行」を犯している^^;
 
 
 
更に広い範囲から見下ろしてみる・・・。
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だんだん・・・
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もっと・・・
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そしてついに・・・!!??
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まさに「お釈迦様の手のひらの上で踊る孫悟空」。
小さな日本の中で、ほんの小さな動きをしたに過ぎないのであった・・・。
 
しかし、僕たち人間は、まさに「この巨大な世界」を相手にして日々を生き、苦しみ、喜び、考え、発展しようとしている、ということなのだろう。