[Q(抜粋)]【片桐且元とは、どんな人物だったのでしょう?? 】(Yahoo! 知恵袋)

[Q(抜粋)]【 #片桐且元 とは、どんな人物だったのでしょう??】(Yahoo!知恵袋)

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[Q(原文)]

「 #賤ヶ岳 」の七本槍で有名な武将の1人「片桐且元」は、その有名なる故に #晩節 を観るにつけ、なんとも複雑(晩節を汚した・悲劇性・遊泳術で保身に成功したなど・・)彼は、もう時代が移り、 #徳川 の天下になり #豊臣家 の生きる道は #家康 に従属するしかないと思って、豊臣家の為に東奔西走するが、 #淀君 などの豊臣家のプライドと家康の #姦計 の狭間で苦労の連続、家康はまるで猫が捕らえた鼠をいたぶる様に豊臣家・片桐を苛めます。

例の「 #鐘銘事件 」などは最たるもの、この為且元は家康・豊臣の間の #板挟み で苦悩、その後徳川方に寝返るが、そのときの苦悩の連続で #過労死 説や豊臣側による毒殺説など言われてるが、この彼の晩節の行動の評価や、死の原因について事情通の方、説明を願います。

日本史
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解決済み
2008/10/23 19:02

http://chie.mobile.yahoo.co.jp/p/chie/qa/view?qid=1019970015&ySiD=f_TwVI8xGMspmy.virPn&guid=ON

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ベストアンサー

touhaku_snowさん

賤ヶ岳の七本槍」というと大大名になった人物が多いですが
そうした中で且元は最も秀吉に近かった人物であったと私は見ています。

彼は武将や官僚といった直接的に政治に関わるよりも
むしろ豊臣家の「お守役」に徹することに勤めていたのではないでしょうか。

豊臣家没落の要因の一つとして秀吉の弟の #秀長 の死が言われますが
秀長の死後に豊臣家内部の調整役にまわる人物は #前田利家 ぐらいしかおらず
#加藤清正 にしろ #石田三成 にしろ役柄や立場に縛られすぎて
最終的には徳川家康に利用されて豊臣家没落を早めてしまいました。

そんな中で軍事・行政のどちらでも大役を担っていない且元は
「子飼いの人物」の中では中立者と言えるのではないでしょうか?

確かに且元自身も秀でた才がなく
結果として家康の姦計に掛かり大阪城を退去するのですが
#秀頼 が自分の親衛隊ともいえる侍たちに且元を警護させた事は
#節義 を果たした臣へのせめてもの手向けであったのではないかとおもいます。

且元も家康の性格を考え(後の豊国神社廃社など)雑言罵倒されようが
「生きて菩提を弔う」ことが凡庸な自分に残された最後の #忠節 と考えても不思議ではないと。
2008/10/18 15:11

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[質問した人からのコメント]
アンサーに感謝します。結局七本槍の勇者たちも、家康の政治的道具にされて歴史の表から消えてゆく運命だったんですね。家康としては彼らは頭の上のハエ的存在でしょうから・・