【東京23区における「下町」とはどのあたりを指すのでしょうか?】(Yahoo!知恵袋)

[Q]【東京23区における「下町」とはどのあたりを指すのでしょうか?】(Yahoo!知恵袋)

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[A]ベストアンサー
notenjackさん

下町・山の手というのは江戸時代に江戸で生まれた言葉です。

「下町」とは、町人が自分たちの居住する町を、江戸城の、御城下町(おしろしたまち)→「下町」と呼んだことに始まります。

英語ダウンタウンの訳語でもないし、下という字が着いても、土地の高低は本来意味しません。

江戸時代、町人は、厳密には町奉行所が支配管轄する「町」にしか居住を許されませんでした。

「山の手」は神田川【外堀】以西以南の丘陵地に武家地寺社地が多くあったことから、町人たちが、「山の手」と呼び習わしたことによります。

文政12年(1829年)に幕府が編纂した『御府内備考』に下町の範囲は「日本橋川筋より北の方、神田堀内に属する町々」とあります。

つまり、下町は、今の神田・日本橋近辺だけだったのです。

1829年と言うのは1868年の明治元年まで40年足らずの江戸後期。
当時すでに #深川 や #本所 は『江戸府内』に入り、町奉行所支配地となっていましたが、新開地で江戸の町とは思われていませんでした。
同様に、浅草寺のある浅草も、浅草田圃とよばれた郊外にすぎません。

これらの郊外が下町と呼ばれるのは明治以降の話です。

◇ ◆ ◇

明治維新で武士は無くなり広大な武家地が次々と町になりました。
その際、水の便のよい低地には工場や作業所が造られ、下層の人々が住み着いて新しい町が出来ました。

それらは浅草区本所区深川区、さらに周辺郡部農村部へと広がります(現在の荒川区葛飾区・江戸川区など)
これらの地域が時代の変遷とともに庶民の住む下町と意識されるようになって来たのです。

でも下町は江戸で生まれた地域呼称ですから、少なくとも『江戸府内』と呼ばれた地域内でないとしっくりしません。

その意味では江戸府内~旧東京市内として戦前まで都市部であった旧東京市15区の範囲内と考えるべきでしょう。
そして少なくとも江戸時代から庶民が住むことを認められた正式な「町」であったことが条件だと思っています。

その意味で中央通の万世橋秋葉原周辺から新橋・芝まで、の沿道周辺、外堀通りから隅田川までの一帯、そして浅草橋から浅草まで。
中央区・港区そして千代田区台東区それに墨田区江東区まではその範囲に入ると思っています。

それ以外の文京区・新宿区あたりは完全な山の手(もちろん千代田区台東区や港区の一部もそうですが)、
荒川や葛飾、江戸川などは(本来は旧向島区城東区も)近年まで旧郡部なので下町には入らないと考えます。

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