【朴 泳孝 パク-ヨンヒョ】

【朴 泳孝 パク-ヨンヒョ】

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朝日日本歴史人物事典の解説

没年:昭和14.9.20(1939)
生年:哲宗12.6.12(1861.7.19)

朝鮮李朝末期の開化政治家。日本語読みは「ぼく・えいこう」。

朴珪寿から実学を学び金玉均,洪英植,徐光範らと開化派を結成する。

壬午事変(1882)後に修信使として訪日し,日本の近代化を視察し政界人および福沢諭吉らと交遊する。

帰国後,金玉均らと甲申政変(1884)を引き起こすが,挫折し日本に亡命する。

高宗25(1888)年,国王高宗に「建白書」を上呈し,東アジア情勢の切迫と朝鮮近代化の急務とを訴えた。

同31年,日清開戦後帰国し内部大臣となり甲午改革に参画するが,日本の強い干渉に反発して独断専行し,金弘集らと対立した。

三国干渉(1895)後の閔妃のロシア接近を抑えようとしたが,陰謀罪に問われ,同32年再び日本に亡命。

隆煕1(1907)年帰国し宮内大臣となったが,ハーグ密使事件(1907)に当たり李完用内閣と対立し追放される。

日韓併合(1910)後に日本から侯爵を授かる。

朝鮮独立のため国民の活力を動員し,改革実現をめざしたが挫折した。

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<参考文献>森山茂徳『日韓併合