【トレカ】関天培

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【関天培】人物カード

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 関天培(かん てんばい、1781年 - 1841年2月6日)は、中国・清末の武将。
字は仲因、滋圃と号す。諡は忠節。山陽(江蘇省)淮安県に生まれた。
清朝の民族的な英雄として高く評価されている。

 若い頃は一兵卒から立身し、長じては道光年間の清朝において重きをなした。『籌海初集』などを残した。
江南提督、従一品広東水師提督を歴任。人望が厚く、身分をこえて慕われたという。その生き様は、のちの曾国藩らにも影響を与えた。

 条約決裂をうけてアヘン禁止が布かれた際は、虎門でアヘン焼却を敢行。イギリスとの主戦論をいち早く支持した。
 阿片戦争アヘン戦争)勃発後、康熙帝時代に築かれていた虎門要塞を拡充、整備。広東防備と強化を唱え、イギリス艦隊を迎え撃つ。道光21(1841)年2月6日、大佐チャールズ・エリオット率いるイギリス軍の精鋭部隊と抗戦。虎門の戦いでは凄まじい攻防のなか自らも虎門要塞で奮戦し、最期は攻めかかる敵軍の一隊をおびき寄せ、もろとも玉砕したと伝えられている。
 その戦いぶりに感銘を受けた敵軍イギリス艦隊(ブレンハイム号)は弔いの礼を尽くし、その死を悼んだ。淮安県楚州区には碑があり、林則徐は書を贈ったという。

中国映画『阿片戦争』(1997年)では、林則徐の最大の理解者として描かれ、また出陣の際は自らの歯を抜歯して遺すように、と伝えた場面が登場している。


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[獅子奮迅]
このカードが場にあるとき、このカードも含めて(自陣の)全てのカードの人物力が+1000される。


[人物力]4000