【日本とイスラーム】ハッジ・ムスタファ・小村不二男著

[引用]
【日本とイスラーム
ハッジ・ムスタファ・小村不二男著
 
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[まえせつ]
 
先日UPした弊記事
に対する亜州さんのツッコミにより、『月臣自身の中にイスラムに対する偏見』が存在することに気付いたので、検索肢「イスラムは非文明的という偏見」をYahoo!で検索すると、「イスラミックセンター・ジャパン」という団体の文章を発見しましたので、一部引用し、いろいろと考えてみようと思います。
 
[引用元]
「イスラミックセンター・ジャパン」
 
「日本とイスラーム」(本文:全文)
 
 
イメージ 1
「イスラミックセンター・ジャパン」
東京都世田谷区大原1-16-11
 
 
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【日本とイスラーム
ハッジ・ムスタファ・小村不二男
 
 
(1)今日の日本人の宗教概念
 
 
 周知の如く、我国には古来固有の日本神道と千数百年以前にインドから中国、韓国を経由して渡来した仏教が広く国民の間に伝教宣布され、国民は篤くこれらを信仰してやまなかった。
 その後近世に入って、ヨーロッパから来た外国人宣教師によってキリスト教が九州や西日本の一部に伝道されたが、徳川幕府の禁止令によって一時ストップした。しかし明治維新後は自由が認められ、再び開放された。
 
 
 1945年の日本の第二次世界大戦敗後は、従前国民の精神的支柱として信仰されていた神社神道に対する尊崇心は急に衰え始め、仏教もまたその説くところの教理が余りにも深遠高尚すぎて、現実世界とは遊離してしまった。そして葬式や先祖霊の供養、盆、彼岸などの法要のみの形式的で観念的はものになる傾向が顕著となった。
 
 
 こうした情況と精神的空虚の時代に乗じて、現実に即して日常生活に密着した、しかも誰にでもわかりやすい教理を説いて大衆に広くアピールし、何か物足りぬ人々の心の空白を満たしているのが、ご存知の新興宗教、ないし新新興宗教である。中にはその宗教を通じて現実的にその政治改革運動の分野にまで進出し連携して異常なまでに大衆の人気を博し、急激に拡大発展しつつある宗教もある。
 
 
 では本題のイスラームはいったいどうであったのか。
 
 慨して言えば、イスラームについては日本人の大多数があまりにも無関心であり無知、そして無頓着であった。
 
 その歴史をさかのぼれば、既に明治の中期すなわち今から90年ほど前にイスラームの先駆者たちによって開拓されたが、当時教勢はまだ弱く、明治、大正時代はごく限られた一部の人たちのみに信仰されていた。
 その後、日中事変や大東亜戦争が勃発するに及んで、その提唱する大東亜共栄圏の中には数億のムスリムイスラーム教徒)が各地にいることが知られ、一部の研究家の関心を喚起せしめた。
 
 
 その結果ムスリムとしてイスラームに改宗、帰依する者も少しは増え、従前ほとんど無かったイスラーム関係の図書もかなり多く出版されて店頭に現れるようになった。
 
 
 だが、日本の敗戦によって、食料、医療その他住宅難などのため、一時数年間はその獲得に全国民が狂奔するばかりで、イスラームの法灯は消えたような観があった。
 
 
 ところが、そこに昭和30年代(1955年)初頭から、パキスタンからタブリーグ派の伝導団が来日し、その使節は毎年のように熱心に日本国内を布教して廻った。
 また昭和40年代末(1973年)には、かの第一次石油ショックが勃発して、国民の日常生活を脅威し、その毎日の生活に欠くことのできない石油の産出国が、実はサウディ・アラビアをはじめとする中東のイスラーム諸国であることにやっと気がつき、にわかにイスラームへの関心が再び強まるようになった。
 
 
 この絶好のチャンスに乗じ昭和35年(1960年)から日本に長年の留学経験のあるサーリ・サマライ博士が再びサウディ・アラビアから日本へ復帰し、現在のイスラミックセンター・ジャパンを開設して、本格的に組織的なイスラームのダアワ(呼びかけ≒布教)活動を開始した。だが、その前途はまだ遼遠でこれからのセンターの役目とやらなければならない責務は少なくない現状である。
 
 
 
[用語]
 
【ダアワ】da'wah
 
「布教」。本来の意味は「呼びかけ」。
聖職者を持たないイスラムでは、他の宗教の「布教」とは内容が異なる。