【代々木上原~大原】東京社会科見物

[写真とプチネタ]
代々木上原~大原】
東京社会科見物
---
イスラム関係の記事を検索していたら、
近所にもイスラムの施設があるということなので、
さっそく「物見遊山」に★
 
◇ ◆ ◇
 
イスラム施設じゃないけど、撮影順で、まずはココから♪

JASRACビル」と「古賀政男音楽博物館

イメージ 1
撮影順で。(2011-0914-1300)
代々木上原駅前の「JASRACビル」と「古賀政男音楽博物館」。
 
 
音楽利用者から超高額の使用料をふんだくって人類への貴重な「愛の結晶たち」を「オアズケ状態」に陥れている「悪の独占企業」・・・らしい!!??
著作者への配慮も不足で、ただ「金が流れるだけの不思議な箱」なのか!!??
 
 
↓↓↓象徴的な真相の一部は外部ブログに★
 
:栗原潔のテクノロジー時評Ver2
↓↓↓
JASRACさん、ヒドイこと言ってごめんなさいm(爆)m
 
 
ジャスラックJASRAC
《 Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers 》日本および海外の音楽について、作詞者・作曲者・音楽出版者が持つ音楽著作権を管理する団体。昭和14年(1939)設立。日本音楽著作権協会
 

古賀政男
(1904―1978)
作曲家。福岡県生まれ。1929年(昭和4)明治大学商学部卒業。在学中マンドリン・クラブを組織し、28年には処女作『影を慕いて』を発表。31年よりコロムビアなどのレコード会社の専属作曲家となり、多くのヒット曲を生む。それまで中山晋平(しんぺい)の独壇場であった流行歌の世界に古賀メロディーの新風を吹き込んだ。主要作品は『丘を越えて』『二人は若い』『湯の町エレジー』『柔(やわら)』『悲しい酒』など多数。死後、国民栄誉賞が贈られ、「古賀政男記念音楽大賞」が設けられた。古賀政男記念博物館(東京都渋谷区上原3-6-12)がある。 [ 執筆者:船山 隆 ]

◇ ◆ ◇
 
イメージ 2
(2011-0914-1332)

代々木上原駅のガードをくぐるとモスク 「 東京ジャーミィ (→Feペディアオスマン様式のキューポラ(ドーム)とミナレット(光塔)が現れる。
「見学はご自由です」という、ビミョーな日本語の垂れ幕が表示されているが、仕事直前のちょいサイクリングだったので、中には入らず。
 
 
【イスラミックセンター・ジャパン】
イメージ 3
(2011-0914-1343)
 
井の頭通りを西に進むと、午前中に書いた記事【日本とイスラーム】の原文を引用させていただいた「イスラミックセンター・ジャパン」を発見するも、残念ながら休館。ロビーの案内には「5F:ムサッラー」( musalla: 礼拝所)。」などと書かれている。
 
◇ ◆ ◇
 
仕事の時刻が近づいてきたので、帰途に入る。
 
イメージ 5
(2011-0914-1400)
東京都水道局和泉給水所のタンク。
「東京水」の看板が描かれている。
 
 
東京の水道水は世界でビジネスを展開できるくらい安全でおいしいと言われている。
 
東京水500mlペットボトルの英語版も発売され、上野公園とか都庁の売店とかでで売られているらしい。
東京都の水は確かに安全でおいしいが、交換工事直前の古い上水道管は、「下水管のように汚い」らしく、水道水を嫌う人も多いようだ。
 
かく言う月臣のアパートの水道水も、個人的にはとても安全でおいしいと感じてはいるが、このアパートは築30年か40年か、下手するともっと古いので、水道管から蛇口までの短い区間「ナゾのウマミ調味料」が混入してるかもしんない・・・^皿^;;
 
 
イメージ 6
(2011-0914-1403)
更に水道道路を西進。
神田川を渡るあたりに面白い形の鉄塔「駒沢線No.31」。
 
 
川に沿って大きく角度の変わる位置のあるためか、こんな変な形に作られている♪
 
近くには東京電力の広大な変電所「和田堀変電所」があり、杉並の重要なエネルギー拠点になっているが、最近は極めてコンパクトな「ガス開閉器(気体式スイッチ)」に換装され、余った土地を住宅地や敬老施設として活用している。言ってみれば、この辺一帯は「プチ東電王国」みたいなモノか^皿^
 
 
 
イメージ 4
(2011-0914-1422)
変電所の近くを通って大宮八幡宮へ。
 
この参道は、まっすぐ「皇居」の方角へ伸びていて、
江戸・東京の「呪術的安定」のための一要素となっているという。
 
[参照]
 
 
 
 
 
イメージ 7
参道の途中には源義家ゆかりの「鞍掛けの松」がそびえ立っていて、
杉並区の案内板や町内会で作られた系図が展示されている。
 
 
[引用]
【鞍掛けの松】
 
この前の道は、大宮八幡宮の参道です。
参道に面して、「鞍掛けの松」があります。
 
この松の名称は、平安時代の武将・
源義家(1039~1106)が、奥州
遠征の折、この松の枝に馬の鞍を掛けた、
という伝承に由来します。この伝承は、
「江戸名所図会」(江戸時代の地誌)
にも紹介されています。
 
松そのものは代替わりしていますが、こ
うした伝承が地元に長く語り伝えられ
てきたことは、この地の歴史の古さを
物語るものといえます。
 
平成14年3月
 
 
◇ ◆ ◇
 
今日もこれから何か見に行こうかな・・・★