【ルワンダの大虐殺は何故起こったんですか?】(Yahoo!知恵袋)

[Q]【ルワンダの大虐殺は何故起こったんですか?】(Yahoo!知恵袋)

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ベストアンサーに選ばれた回答
ootomofukouheiさん

2010/5/2822:55:18

ルワンダ第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地であったが、植民地下で「少数派であるツチを君主及び首長等の支配層とする間接支配体制」が築かれ、多数派のフツとごく少数のトゥワはより差別を受けるようになった。

1962年の独立の前にツチとベルギー当局との関係が悪化し、ベルギー当局は #国連からの関係改善の勧告を無視し、社会革命としてフツによる体制転覆を支援 した。

ツチは報復を恐れて近隣諸国に脱出したが、1973年にジュベナール・ハビャリマナがクーデターを起こすと、当初は和解策をとったものの独裁批判が強まると反ツチ傾向を強めた。ウガンダのツチ系難民がルワンダ愛国戦線 (RPF) を組織して、ウガンダを拠点にフツ族のハビャリマナ政権に対する反政府運動を活発化させることになる。

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1990年10月にはRPFがルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発。

1993年8月にRPFの猛攻と国際世論の高まりにより、アルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月6日にフツのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者か(「フツの過激派による犯行」と「ツチの犯行」の二説有り)に撃墜されたことに端を発して、フツによるツチの大量虐殺(ジェノサイド)が始まった。

1994年7月にRPFがツチ系の保護を名目に全土を完全制圧し、フツのパステール・ビジムングを大統領、ツチのポール・カガメを副大統領(現大統領)として新政権が発足。紛争は終結した。

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あまり指摘されないが、フランス政府が、虐殺側に立ったフツの援助を組織的に行っていた(フランス軍の展開、武器援助等)事など、冷戦時代からの名残を引きずった西欧諸国の思惑がさらに事態の鎮圧を遅らせていたという面もある。(その一方で、アメリカは早くからRPFに接近しており、内戦が本格化する以前からカガメと接触していた。)

なお、ルワンダ政府は、後にカガメを戦争犯罪者として告発したことなどを理由にフランスと国交断絶をしているが、2010年にニコラ・サルコジ大統領がルワンダを訪問し、外交的・軍事的な後押しをしたことに対し「大きな判断の誤りがあった」と虐殺に関する責任の一端があることを認めている。

この紛争では、ラジオ放送がツチへの敵愾心を煽る放送を流したことが、一般人までもが虐殺に荷担することにつながった。

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