【『孔叢子』の日本語訳を教えてください!】(Yahoo!知恵袋)
《Q》【『孔叢子』の日本語訳を教えてください!】(Yahoo!知恵袋)
ynezu_ymさん
2014/7/1520:12:53
2014/7/1520:12:53
〈 原文+注記 〉
公叔木謂申祥曰、
”吾於子思親而敬之,子思未吾察也。”
”吾於子思親而敬之,子思未吾察也。”
申祥以告曰、
“人求親敬於子,子何辱焉?”
“人求親敬於子,子何辱焉?”
子思答曰、
“義也,申祥曰請聞之。”
“義也,申祥曰請聞之。”
答曰、
“公叔氏之子,愛人之同己慢而不知賢,夫其親敬非心見,吾所可親敬也。以人口而親敬吾,則亦以人口而疏慢吾矣。”
“公叔氏之子,愛人之同己慢而不知賢,夫其親敬非心見,吾所可親敬也。以人口而親敬吾,則亦以人口而疏慢吾矣。”
申祥曰、
“其不知賢奈何?”
“其不知賢奈何?”
答曰、
“有龍穆者,徒好飾美辭說,觀於坐席,相人眉睫以為之意,天下之淺人也。而公叔子交之,橋子良、修實而不修名,為善不為人之知己,不撞不發,如大鍾然,天下之深人也。而公叔子與之同邑而弗能知,此其所以為愛同己而不知賢也。"
“有龍穆者,徒好飾美辭說,觀於坐席,相人眉睫以為之意,天下之淺人也。而公叔子交之,橋子良、修實而不修名,為善不為人之知己,不撞不發,如大鍾然,天下之深人也。而公叔子與之同邑而弗能知,此其所以為愛同己而不知賢也。"
◇ ◆ ◇
〈 書き下し文 〉
公叔木申祥に謂ひて曰く、
「吾子思に於て親しみて之を敬するも、子思未だ吾を察せざるなり。」と。 申祥以て告げて曰く、
「人子に親敬せらるるを求むるに、子何ぞ焉を辱る。」と。
「人子に親敬せらるるを求むるに、子何ぞ焉を辱る。」と。
子思答えて曰く、
「義なればなり。」と。
「義なればなり。」と。
申祥曰く、
「請ふ之を聞かん。」と。
「請ふ之を聞かん。」と。
答えて曰く、
「公叔氏の子、人の己に同ずるものを愛し、慢にして賢を知らず。夫れ其の親敬するは、心に吾が親敬すべき所を見るにあらざるなり。人口を以てして吾を親敬すれば則ち亦た人口を以てして吾を疏慢せん。」と。
「公叔氏の子、人の己に同ずるものを愛し、慢にして賢を知らず。夫れ其の親敬するは、心に吾が親敬すべき所を見るにあらざるなり。人口を以てして吾を親敬すれば則ち亦た人口を以てして吾を疏慢せん。」と。
申祥曰く、
「其の賢を知らずとは奈何。」と。
「其の賢を知らずとは奈何。」と。
答えて曰く、
「龍穆なる者有り、徒だ飾を好み辞説を弄び、坐席に観して、人の眉睫を相て以て之が意と為す。天下の浅人なり。而して公叔子之と交わる。橋子良、実を修めて名を修めず、善を為して人の己を知るを為さず、撞かざれば発せざること、大鐘の然るがごとし。天下の深人なり。而るに公叔子之と邑を同じくするも、而して知る能はず。此れ其の己に同ずるものを愛して賢を知らずと為す所以なり。」と。
◇ ◆ ◇
「龍穆なる者有り、徒だ飾を好み辞説を弄び、坐席に観して、人の眉睫を相て以て之が意と為す。天下の浅人なり。而して公叔子之と交わる。橋子良、実を修めて名を修めず、善を為して人の己を知るを為さず、撞かざれば発せざること、大鐘の然るがごとし。天下の深人なり。而るに公叔子之と邑を同じくするも、而して知る能はず。此れ其の己に同ずるものを愛して賢を知らずと為す所以なり。」と。
《A》ベストアンサーに選ばれた回答
ohagitodaihukuさん
2014/7/1619:32:15
2014/7/1619:32:15
〈 現代語訳 〉
公叔木は申祥に言った
「私は子思に親しみを感じ、尊敬しておりますが、子思は、まだ私を理解して下さらないのです」
公叔木は申祥に言った
「私は子思に親しみを感じ、尊敬しておりますが、子思は、まだ私を理解して下さらないのです」
申祥はこれを告げて、こう言った
「ある人が、あなたに親交を求め、あなたに敬意を持っています。あなたは何を不足とするのですか?」
「ある人が、あなたに親交を求め、あなたに敬意を持っています。あなたは何を不足とするのですか?」
子思は答えて言った
「義です」
「義です」
申祥は、これを聞かせてくれるように願った。
子思は答えて言った
「公叔氏の子(公叔木)は,自分と同調する人を愛して慢心し賢人を知りません。そもそも、彼が親しみ敬愛するのは、自分の本心から、親しみ敬愛すべきところを見て(その結果として)尊敬するのではありません。人の評判に頼って私を敬愛するのなら、また、人の評判によって私を軽視するでしょう」
「公叔氏の子(公叔木)は,自分と同調する人を愛して慢心し賢人を知りません。そもそも、彼が親しみ敬愛するのは、自分の本心から、親しみ敬愛すべきところを見て(その結果として)尊敬するのではありません。人の評判に頼って私を敬愛するのなら、また、人の評判によって私を軽視するでしょう」
申祥は聞いた
「彼が賢人を知らないというのは、どういうことでしょうか?」
「彼が賢人を知らないというのは、どういうことでしょうか?」
答えて言った。
「龍穆という者がいて,徒に美辞麗句をならべ言辞を飾り,坐席の人の眉睫の動きから推察して(気に入られた言説を)自分の意とするような天下でも軽薄な人です。それなのに公叔子は、この人と交際しています。
橋子良のような人は、実を求めても名声を求めず、善行を行っても他人にそれを知らせようとしない、まるで撞かないので、音を發しない大きな鍾のようなもので、天下でも思慮深い人です。
それなのに公叔子は、この人と同郷であるのに、この人を(賢人と)知りません。このことが、公叔木は自分と同じ者を愛して賢人を知らないとする理由なのです。
「龍穆という者がいて,徒に美辞麗句をならべ言辞を飾り,坐席の人の眉睫の動きから推察して(気に入られた言説を)自分の意とするような天下でも軽薄な人です。それなのに公叔子は、この人と交際しています。
橋子良のような人は、実を求めても名声を求めず、善行を行っても他人にそれを知らせようとしない、まるで撞かないので、音を發しない大きな鍾のようなもので、天下でも思慮深い人です。
それなのに公叔子は、この人と同郷であるのに、この人を(賢人と)知りません。このことが、公叔木は自分と同じ者を愛して賢人を知らないとする理由なのです。
【公叔木】衛の公叔文子の子,定公十四年に魯に亡命した。
〈 キー・ワード 〉
《 疏慢 》;(疎)軽視,(慢)怠慢。うとんじ、おこたること。
《 疏慢 》;(疎)軽視,(慢)怠慢。うとんじ、おこたること。
◇ ◆ ◇
『孔叢子』中には、資料的信憑(しんぴょう)性は低いが、名家(めいか)の公孫竜(こうそんりゅう)が登場する公孫竜編、墨子(ぼくし)を非難した詰墨(きつぼく)編や、文字の訓詁(くんこ)を記した小爾雅(しょうじが)編なども含まれている。
なお、その書の独治編によれば、撰者に擬せられる孔鮒は、陳勝に仕えて博士になったという。[著;伊東倫厚]