【フィリップス曲線】失業率と物価の均衡関係

[グラフ]
失業率と物価の均衡関係
 
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(▼Wikipedia加筆・修正)
 フィリップス曲線(フィリップスきょくせん、英: Phillips curve)は、経済学においてインフレーションと失業の関係を示したもの。 アルバン・ウィリアム・フィリップスが1958年の論文の中で発表した。
 
 縦軸にインフレ率(物価上昇率)、横軸に失業率をとったときに、両者の関係は右下がりの曲線となる。フィリップスが初めて発表した時は縦軸に賃金上昇率を取っていたが、物価上昇率と密接な関係があるため、最近では縦軸に物価上昇率を取る。
 
 これは、短期的にインフレ率が高い状況では失業率が低下し、逆に失業率が高いときはインフレ率が低下することを意味する(インフレーションと失業のトレードオフ関係)。
 
 つまりフィリップス曲線とは、短期においてのみ「失業率を低下させようとすればインフレーションが発生」し、「インフレーションを抑制しようとすれば失業率が高くなる」ということを表した曲線である。
 
 ミルトン・フリードマンは、フィリップス曲線は長期的には一定の失業率に落ち着くと理論づけ、この失業率を自然失業率(natural rate of unemployment)と呼んだ。
 この失業率においてはインフレ率が加速することはないとされる。
 最近では「自然」の意味が不明確として、NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)(インフレ非加速的失業率)と呼ばれている。
 
 ちなみに不況下で物価が上昇するスタグフレーション(↓後述)は、フィリップス曲線の右上方向へのシフトで説明される。
 
 1980年代以降の先進諸国では、ディスインフレーションが進行し、次第に物価上昇率と失業率の関係はあいまいになりつつある。 むしろ、労働市場の不均衡は経常収支に対して影響を及ぼしている。
 
 
 
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【左】1960年代の米国のフィリップス曲線    【右】1990年代の米国のフィリップス曲線
 

 上のグラフは、米国経済のフィリップス曲線である。縦軸が物価上昇率、横軸が失業率で、どちらも単位は100ベーシスポイント(1%)である。
 
 1960年代後半は、ジョンソン政権の「偉大な社会」政策などで景気が過熱し失業率の低下とインフレ率の上昇という典型的な短期におけるフィリップス曲線を描いている。
 
 
 1990年代は物価の低下と失業率の低下が同時に起こる時代でニューエコノミーとも呼ばれた。実際にはこの時期、需要と供給の不均衡の結果として経常収支の赤字が急拡大している。そのため、物価は上昇せずフィリップス曲線は短期的な「不均衡」を描ききれなかった。ただ、失業率が4~8%の間で前後しているので、長期的にフィリップス曲線はNAIRUに落ち着くことを考慮すると、フリードマンの理論通りといえる。
 
[関連項目]
失業
インフレーション
◇ ◆ ◇
 
スタグフレーション stagflation
 
 スタグネーションstagnation(経済停滞)とインフレーションinflationの合成語。不況とインフレが同時進行する状況を示す。
 
 通常、フィリップス曲線で示されるように、経験的には不況下において物価水準は下落しており、失業率を減少させるためには物価水準の上昇を受け入れなければならないという、失業とインフレの間のトレード・オフの関係が存在するとされる。
 
 しかしながら、1960年代後半ごろにイギリスにおいて失業率の上昇と賃金の高騰によるコストプッシュ・インフレーションが同時に発生した。さらに、1973年の第一次オイル・ショック時においては、世界同時不況が発生する最中、先進国は軒並み二桁(けた)台の率で物価水準が上昇した。
 
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 こうした失業とインフレの共存する現象を説明すべく、ミルトン・フリードマンに代表される、マネタリズム(貨幣主義)的インフレ解釈と、同じく経済政策が登場するに至った。
 
 すなわち、ある程度の高い失業率の下でインフレがおこると、将来の予想インフレ率が追随して上昇してしまう。財政・金融政策による引締めでこれを抑制して現実のインフレ率を落としても、予想インフレ率がそれに追随して落ち着くまでは、高失業率と高インフレ率が共存するのがスタグフレーションであるとし、これを防ぐためにはケインズ的政策(公共事業による一時的な需要喚起)を放棄して、貨幣供給を安定させ、経済の自律性を発揮させることが重要であるとするものである。
 
 1979年のイラン革命を端緒とする第二次オイル・ショックにより、世界経済はふたたびスタグフレーションの状況に追い込まれた。しかし、第一次オイル・ショック時には、1974年(昭和49)の日本の実質GDP(国内総生産)成長率が戦後初めてマイナスとなり、消費者物価の上昇率が20%を超えるほどであったのに対し、第二次オイル・ショックが日本経済に与えたインパクトは、第一次オイル・ショックほどには大きくならなかった。
 これは、第二次オイル・ショック時には、第一次オイル・ショック時と異なり国内要因のインフレがおきていなかったこと、第一次オイル・ショックの教訓を生かして財政面・金融面それぞれにおいて総需要抑制策・引締め策が迅速に行われたこと、そして賃金上昇率が抑えられたことなどが功を奏したものと思われる。
 
[ 執筆者:一杉哲也・羽田 亨 ]
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