(4/5)『東アジアの印刷技法との関係』:【補足】活字印刷「世界初」諸説【4】(全5回)

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【4】東アジアの印刷技法との関係

『世界初の活字は、慶暦年間(1041年~1048年)に北宋の畢昇が作成した陶器(膠泥=モルタル)の活字である。(畢昇の名は北宋の沈括の著『夢渓筆談』十八巻であげられている。)』

『一回限りの木版から何度でも利用できる金属活字への進歩は14世紀の朝鮮半島で起こった。1377年、荘宗時代の高麗で『仏祖直指心体要節』が銅活字で印刷されたとされる。』


中国を中心とする「漢字文化圏」においても、様々な活字印刷が考案され、これがシルクロードを通じて欧州に渡ったという説もあるが、アルファベット26文字(+数種類)の欧州に比べ、膨大な種類の漢字を使い分ける我らの漢字文化圏においては、残念ながら大規模な活字印刷のシステムは実現できなかったようで、木版を彫って印刷し、必要に応じて版木を保存して再版する方式が主流となったようである。

※ただし、日本の江戸時代などにおいて、自費出版・小部数出版・無届出版の世界においては、木活字が使用されていた例もあるそうで、前後の時代(織豊時代や明治以降)の活字本と区別して「近世木活字本」と呼ばれているそうである。